【ひろば】
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●臨床心理学 スクーリングを受講して
今回の臨床心理学のスクーリングを受けて,少しがっかりしています。難しいだろうことは受ける前から予想していましたが,内容を理解することは,はっきり言ってできませんでした。
講義というものは,教える側,教わる側相互の関わりで成り立つものだと私は思っています。学生が真剣に受けることは当たり前のことでしょうが,教師側が理解できているかどうかを確認することも365体育投注_365体育备用网址-【唯一授权牌照】@なことではないでしょうか。テキストに添って進める訳でもなく,話すことのプリントもなく,画面上に出されたものについて,淡々と話す。「書き写すことはない」ということも,大事なところは「ちゃんと言います」ということも,終わってみれば,本当にそうだったのだろうか,ということが試験の時に表われたと私は思いました。しっかり覚え込んでいなかったということです。全部がわからないということではなく,わかったつもりになっていたということです。もし,資料が少しでも出されていれば,たとえ,授業中話があちこちに飛んだとしても(つながりがわからない所が多々ありました),プリント上で探すこともできたことでしょう。
今,学生が求めていることを理解することも365体育投注_365体育备用网址-【唯一授权牌照】@なことと思います。今は,臨床心理学に対しての意欲は失せています。なにかのきっかけでまた,取り組もうという気持ちになるのを待とうと思います。
(福祉心理学科2年 Y.M.)
●Y.M.さんへの返事
このたびは,授業に関して貴重な指摘をしていただき,ありがとうございました。今後は,ご指摘の点を改善し,資料の提示,テキストの使用,話し方,授業内容,試験内容などに,いっそうの工夫を重ね,努力していきたいと考えております。臨床心理学への学びの意欲を取り戻されるようお祈りしております。なお,返信が遅くなりましたことをお詫びいたします。
「臨床心理学」担当 佐々木千鶴子
●私のバレー観を変えてくれたスクーリング(バレーボール)
私は小学生の頃からバレーボールをしてきました。もちろんそれは“勝つため”のバレーです。血,汗,涙を流し,逃げ出したいこともありましたが,キャプテンだった私は,それは許されない(と私は思っていた)ことでした。そんな辛い思いをしたのに,成人になってみれば一般のバレー,主婦になればママさんバレーとすいこまれるように“バレー馬鹿”になっていきました。そこでも“勝つため”のバレーにこだわってしまい,“楽しむため,ストレス解消のため”のものではありませんでした。チームひとりひとりの力,経験はそれぞれ違うのに“何かおかしい,これでいいの?”と疑問を抱くようになり,バレーから離れていました。
そんな時,入学時から希望していたバレーのスクーリングが開始されました。同年代(?私の方が少々お姉さんかな?)の佐藤先生の講義です。オリンピックに出場したことのある先生です(私も中学生の頃オリンピックに行くゾ?と思ったことが……)。スクーリング開始とともに,私のなかの疑問は,少しずつ変化していくのがわかりました。グループをつくり試合形式にした際,「さあ,全部勝つぞ。……いやそれで本当にいいの?」という疑問がわいてきました。それは要所要所での佐藤先生の言葉がポイントになりました。
私が入学したのは,福祉大です。「福祉」を常に頭に入れ,プレーを考えなければならないのです。未経験者,高齢者,障がい者等も含めた“楽しめる”バレー(スポーツ)を考えなくてはならないのです。経験してきた人間こそ,“楽しむすべ”を知らなければ「福祉」に通じないことに気づかされたのです。「目からうろこが落ちた」のです。佐藤先生,いや伊知子さんありがとうございました。?苦しくたって?悲しくたって?コートのなかでは平気なの……?は,私のなかでやっと取れました。
あの日の筋肉痛は,とても「痛(いた)気持ちいい」ものでした。今回,学習したことは,ぜひ今後私の仕事に役立てたいと思います。
(福祉心理学科 A.F.)
●ゴミとマナーから学んだ私見
サザエさんからいただいたキャンパスマナーの投稿。大学内で大きな反響を呼びました。『With』を読まれた大勢の方も“ゴミ”と“ふだんのマナー”に思いおこすことがあったかと思います。私も足元を見直す思いで文章にしてみました。
10月1日,後期授業のはじまりの日。本学ではキャンパスマナーを学生と教職員全員で見直そうというキャンペーンをはじめました。まさにその内容を文字に表わしたような投稿で,ともすると体裁だけが先行しがちな行事によい方向性を与えていただけたと感謝申し上げます。
“キャンパスマナー”については,家庭から離れて生活することの多い学生が大学生活のなかで生活習慣をもう一度見直そうとの意味で実施しているものです。サザエさんの内容とは少し異なるかもしれませんが,“福祉”を学ぶ学生に人と社会の理解をふだんの視点から注意して見てみようというものなのです。
世の中で常識といわれることはふだんの心がけから身につくことであり,決してマナーのしばりから教えられるものではありません。見まわして喫煙や人への配慮,利用のルールなど,なにげないことが軽んじられているような気がしませんか。
ふだん人の出入りの多い大学。ゴミの量も半端ではなく,目につくマナーの乱れも特に学生に限ったことではありません。まず経験の多い大人から手本となり若い人に気づいてもらうことが必要なのかもしれません。
私自身,各地へ出かけることも多く,いくつもの大学などを訪問し,環境を利用させていただくことがあります。利用させていただいた会場はどこもしっかりした管理がされており,使用する側としてもいい環境を乱してはいけないという気分になります。たぶん,その大学の担当の方も他の施設を見たときに自分のところの施設と思って使用するにちがいないと思えます。自分のところだからきれいにする,通りすぎるところだから見過ごしていいというルールはありません。
人間の幸せを求め,どういう形で実現できるかが福祉とすれば,表面にあらわれた部分と隠れて見えない部分とをどのように感じとりサービスできるかが365体育投注_365体育备用网址-【唯一授权牌照】@といえます。大学もその基本に立って,利用する方に心地よい環境を提供することが必要であり,満足感をもっていただけることが大切なのかもしれません。常に他者から学び,耳を傾ける,真摯な姿勢を忘れずに努力していきたいと思います。
今回の投稿がもつ意味は大きく深いものがあります。これからも皆さんのご意見をお待ちしております。
サザエさんへのお礼の気持ちをこめて書きました。
(通信教育部課長 青柳 勉)