With TOP > VOL.73 JANUARY 2011 > 

VOL.73 JANUARY 2011

【学習サポート】

【現場から現場へ】

【2月科目修了試験のご案内】

【冬期IV?春期I?IIスクーリングのご案内】

【お知らせ】

【学習サポート】

教員MESSAGE [科学的な見方?考え方]
「科学的な見方?考え方」とは?

准教授 大内 真弓

 「科学的な見方?考え方」という科目は,スクーリングや課題レポートを通して,レポートを書くという作業がよりスムーズになることを目指して展開しています。イメージとしては,レポートをスラスラと書く巧妙なテクニックの習得ではなく,「レポートを書く」という作業にもっと容易に取り組めるような姿勢や考え方を習得すると表現した方が近いと思います。スラスラと書くためには,その分野における専門的な知識が必要ですし,深く考察する等の時間をかけた準備も欠くことができませんが,それらはそれぞれの専門において習得することができます。それに対して本科目では,レポートを書く際にどのような作業から始めれば良いのか,またどう進めていけばレポートとしてうまくまとまるのか,といった作業手順の部分をサポートすると考えてください。
 ところが,いざスクーリングや添削に臨んでみると,「科学的」ということばが具体的に何を意味しているのかがわからないという質問を受けました。これは「科学的」に処理するためにはどうすればよいのかがわからないのではなく,何を達成すれば「科学的」であるのかがわからないという意味です。なるほど,確かに具体的に何を指しているのかがわからないのであれば,何を目標にして進めれば良いのかもわかりません。
 そこで今回は「科学的に見ること?考えること」の解釈についてお伝えしたいと思います。なお,「科学的に見ること?考えること」の本質的な意味をお伝えするには,本来であればそれぞれの専門分野における掘り下げた説明が必要であると考えています。しかし今回は一般論として容易に理解できる内容という前提でお伝えしますので,そのように解釈していただければ幸いです。
 「科学的に見る」とは,事実をそのままとらえることです。そして「科学的に考える」とは,とらえた事実から導き出せることのみを「意見」とし,その「意見」をリレー方式につなぐことで論理を展開させていく(レポートを書き進める)ことを指します。この場合の「意見」とは事実から導き出せることのみですので,「筆者の意見」という意味とは異なります。個人的な考えや価値観のほか筆者が今までの経験から得られた知識等は,どんなに確からしいことであってもその主体によって変わり得ると考えられるため,事実から導き出した「意見」とはみなされません。さらに筆者が世の中での当然の常識であると思っていることであっても,どの範囲での常識なのか,どれ程の精度なのかによって判断が分かれるため,事実から導き出した「意見」とは言えません。そのような要素を付加したり,わかりやすくなると考えて別な表現に置き換えたりした時点で,筆者の解釈を経た私見をはさんだことと同義になることがあるため,厳密には事実とは言えなくなってしまいます。
 ここまでお話しすると,『でも普通こういうときはこうなりますよね?』とか『テレビでよく見るのでこれの原因は~と言って良いと思います。』というように断定的な表現をなさる方がいます。
 しかし,失礼ながらその方の経験がすべてを網羅しているとは言い切れないので,その方の普通が世の中の多くと等しいという保証はありません。また,メディアで取り上げられるのは世の中のほんの一例にすぎないため,必ずしも代表的な事例ではない場合もあります。仮に代表的な事例であるとしても,メディアだからすべてが真実であるということにはなりません。特にメディアの中には,インパクトを優先し(時には先入観を与え)一般の方々がわかりやすいと感じるような画像やデータ等の視覚情報を誘導的に利用することで,発信者側の意図に流されやすい巧みな構成になっているものが多く見かけられます。そのため非常に慎重に,時には批判的に見ないと,等身大の情報として受けとめることが難しい場合も多いので注意が必要です。

 ところで,レポートを書くにあたりどうしても突破口が見出せないとおっしゃる方も多いです。その時は,まず扱われている専門用語や頻出する語句の「その分野での定義」の解説(もしくはレポート内での定義の確認)から入ってみてください。そこから書き出してみると,思いのほか続く言葉があふれ出てきて流れがスムーズになることがあります。たとえば「広辞苑では~だが,この分野では~と定義されている。」とか,「国語辞典を引くと~とされるが,本課題では~の条件を満たすものについて取り上げる。」と始めてみます。前者ではなぜこのような違いがあるのかを比較するという流れが,後者ではなぜこのような条件をつけるのかを専門分野の観点から説明するという流れが生じ,その流れに沿って進めるとスムーズに本題に入っていけるという場合があります。いずれにせよどこからか得てきた事実を元に展開するため,私見をはさむことは避けられるはずです。

 では何ならば真実と言えるかですが,一般的には公的機関が発表した情報は真実として扱います。それは調査対象や方法等が明確に示されており,責任ある機関の発表であるとみなされるからです。ただし,そのような信頼ある資料であっても,参考資料として使用する場合は出典を明示することが条件です。論文や書籍であれば,著者名,雑誌名(書籍名,出版社名),発行年,ページ数等を,Webページであればアドレスを提示することが必要です。いずれも,誰でもが元の資料にたどりつくことを可能にし,著者の解釈をはさまずに元の資料を著者と同じ目線で確認することができるからです。時折社会を騒がせる捏造問題は,発表された新発見や新事実を自分で確かめたい世界中の同じ分野の研究者が精査した結果,疑われ発覚するものです。例えば示された資料に解釈を重ね上げ論理を展開し新しい結論を導き出したというような新事実であれば,その資料だけではそのように解釈できない場合や,資料は十分であるけれども無理な解釈や論理の飛躍がある場合,資料の出どころさえ明示されていれば誰にでもそれを確認し指摘することができます。このように情報を公開し共有していれば新しいことを次々と効率よく導き出せるようになり,さらには学問全体の発展につながるという理由があるため,発表するレポートや論文では正確な出典の提示が基本となるわけです。

 以上のようなことに重点を置き,個々の事実から導き出した「意見」を積み上げ,誰が読んでもわかり易い流れに構成されているレポートが書けるようになれば,常に深く考察し他者を説得できる論理展開の習慣が身に付き,何事にも無駄のないアプローチが可能となっていくでしょう。もちろん提出されたレポートは,大変説得力のある意見として高く評価されるに違いありません。その積み上げこそが最高学府である大学で学ぶ大きな意義のひとつであると考えます。
 短い書面を利用して,お伝えしたいことの一部をコンパクトにまとめてみました。何かひとつでも参考になることがあれば,そしてレポートを書く作業が少しでもスムーズになれば幸いです。皆さんからのレポートを楽しみに待っています。

1つ前のページへこのページの先頭へ