学長室の窓

学長コラム:一師水乳

コラム No.5

一師水乳いっしすいにゅう

原始仏典『増一阿含経ぞういちあごんきょう』より

現代はSDGsや多様性の重視を唱える一方、世界には格差や対立、さらには憎悪と暴力が各地に蔓延しつつあるようにも見える。文明の利器を得た現代人には、これからの歴史の過ちは自ずと怪我も大きいものとなる。それゆえ人類は、進歩と呼ぶにふさわしい知恵がさらに必要となった。

仏教には「和合尊(わごうそん)」という大原則がある。たとえどんなに議論や意見が分かれようとも、最終的には志を一つにまとめていく力、そんな知恵を仏教では重んじているのだ。

世界にはさまざまな仏教の信仰形態があり、その長い歴史の中で、多彩な仏教文化が生まれた。たとえば、その顕著な例が日本の仏教である。わが国の仏教は、ある意味で原始仏教とはほど遠い姿をしている。それは神仏習合を基軸としながらも、祖先崇拝と家制度を維持するべく日本人らしい宗教観を誕生させた。

実に仏教という教えは不思議である。時代や状況に応じて、臨機応変、変幻自在に変化しながら、互いに相手の大事な部分を受け継ぐ多様性がある。

原始仏典『増一阿含経』の一話を紹介しよう。

昔、ブッダがインドの竹林精舎にいらっしゃったとき、仏弟子500人と一緒であった。するとその中に、一人だけ不自由な体の修行僧がいたという。病弱な彼は、やがて歩くことも、立ち上がることもできなくなり、とうとう最後には排便もままならず、寝たきりになってしまう。すると、周囲の仏弟子たちは、自分たちはやることがあるからとか、各々が修行に忙しいとか言って、寝たきりの仲間を放っておいてしまったのである。

するとそこへ、あのブッダが駆けつける。そしてブッダみずからが排泄物を取り除き、衣装を丁寧に洗濯しながら、最後にこう強く戒めたのである。

「みなの者よ、君たちはなにゆえに出家したのだ!仏教は一師同一の水乳なのだ。(一人の先生のもとでは水と牛乳が混じり合うように一つになるべきなのだ。)たとえ、それぞれの修行があったとしても、たとえ考え方に違いがあったとしても、命の尊さの前には互いの違いを乗り越えよ。これこそ、あらゆる修行の先にある“ゆるぎない目標”なのだ。いつもその先に如来がいるものと心得よ」

これがブッダの説かれた「一師水乳の教え」である。一人の師ブッダの前では、たとえば水と牛乳が混じり合うように、自己主張が無くなって、真っ白に混じり合う…、そのように一如となるべきだと教えている。これが和合した尊い仲間、「和合尊」である。

仏教は主張する。たとえどれほど価値観が違った者同士であっても、人間として分かち合うべき普遍的な知恵がどこかに必要であると。むしろ互いの意見や価値観は違ってよいのだ。そのうえで、あたかも水乳のように人類が混じり合う一如が、徐々にでも実現することを切に願っている。

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