学長室の窓

学長コラム:毀誉褒貶(きよほうへん)

コラム No.7

ただ非難されるだけの人、また称賛されるだけの人は、
過去にはおらず、未来にもいないだろう。そして今もいない。

『ダンマパダ』228偈

この言葉は、「怒り」を主題とする初期仏典の一節である。ある日、アトゥラと名のる一人の在家信者が、相当な怒りと不満を抱えながらブッダに訴えてきた。自分はこれほど善行を積んでいるのに、誰ひとりわかってくれず、むしろひどく誹謗中傷する者さえいる。もう我慢できない…という切実な申し立てであった。それに対し、ブッダはこう諭す。
 
激走する車をしっかりおさえる御者(ぎょしゃ)となれ。
むらむらと湧き起こる怒りを抑える人こそ、私は御者と呼ぶ。
他の人はただ手綱を手にしているだけであろうが、それは御者(ぎょしゃ)と呼ぶに相応しくない。
                        『ダンマパダ』222偈

[怒りの人々の中にあっても]怒らないことによって怒りにうち勝て。
[悪行の人々の中にあっても]善行によって悪行にうち勝て。
[奪い合う人々の中にあっても]わかち合うことによって物惜しみにうち勝て。
[虚言を吐く人々の中にあっても]真実を語ることによって虚言の人にうち勝て。
                        『ダンマパダ』223偈

おそらくは十六大国がひしめく戦乱の当時、目を覆いたくなるような怒りや悪行、奪い合いなどが横行し、虚言の風評に苦しむ世の中だったのである。だとすれば、現代は果たしてどうであろうか。今一度、ブッダの言葉に耳を傾けよう。

アトゥラよ。この道理は昔にも言われたことで、今に始まることではない。
人は沈黙する者を非難し、多くを語る者を非難し、また少なきを語る者も非難する。
ゆえに世の中に非難されない者など誰もいないのだ。
                                                                                    『ダンマパダ』227偈

かくして冒頭の一節の通り、彼にこう告げた。「アトゥラよ。世の中にはね、ただ非難されるだけの人も、称賛されるだけの人もいないのだよ。それは過去にも未来にも、そして今もいないという道理をよくよく理解しなさい」と。

私には聞こえる。それはアトゥラを介してブッダが語りかけた現代への警句のように。SNSの情報が世間を覆い、文明の利器に楽しむ私たち現代人は、深くこの道理を胸に刻んでおかなければならないだろう。激走する世の中に流されることなく、しっかりとおのれの手綱を握る御者となるのだ。毀誉褒貶の波に翻弄される漂泊者とならぬように…。

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