学長室の窓

学長コラム:活人剣

コラム No.10

「 活人剣 」

もはや大谷翔平は、現代の「打撃の神さま」なのかも知れない。しかし私の世代で言えば、読売巨人軍の川上哲治と言うことになるだろう。

川上哲治は、大正9年に熊本県で生まれた。苦学して熊本工業高校に進学し、投手としてチームを甲子園準優勝に導いた。翌年読売ジャイアンツに入団、その後は投手から打者に転向し、首位打者5回、終身打率3割1分3厘、本塁打王2回などの輝かしい記録を打ち立てるが、驚くべきはその引退後である。

昭和35年に巨人軍監督に就任すると、長嶋茂雄、王貞治などの名選手を次々に育て上げ、日本シリーズ9連覇をはじめ、11度の日本一を達成する。しかし長嶋選手の引退を見届けると、すぐに自身も監督を退き、晩年に至るまで野球界全体を支え続けたのだった。

まさに「打撃の神さま」と呼ぶに相応しい川上哲治であるが、実は生涯参禅を欠かさなかった彼を導いた人生の師がいた。その人物が梶浦逸外禅師という高僧である。

梶浦逸外禅師は、昭和期に活躍した臨済宗妙心寺派の禅僧で、千宗室が師事したことで知られる。妙心寺派管長などを歴任し、正眼短期大学を創立すると禅の海外普及にも努めた大人物である。

現役時代の川上哲治が、投手の力量に悩んだ時、体力の限界を感じて引退を考えた時、監督の引き際を感じた時、いつもその決断には梶浦老師の警策とひと言があった。

「川上君、今の君はまるで氷のように固まっておる。氷を溶かして方円の器に従う水の心になることじゃよ」

投げることだけ、打つことだけに縛られたら、真の野球の本質から離れることを坐禅の境地から諭したのだった。これぞ元祖二刀流の極意でもある。今の大谷翔平が野球小僧でいられるのも、二刀流という「離見の見」を持つゆえなのかも知れない。

ずいぶん話が長くなってしまった。ここに一本の警策がある。これは公益法人仏教伝道協会で半世紀にわたって続いた「仏典を経営に活かす会」の最終回で拝領したものである。

これはかつて梶浦老師が参禅に用いたもので、それを中野東禅老師の手を経てここに至ったのである。誠に不思議な縁から私の手元に至った稀有な警策であるが、あるいは川上哲治はじめ多くの人々の人生を救ってきたのかも知れないと想像すると、その銘に記された通り、まさに本物の「活人剣」なのである。

梶浦老師の警策(活人剣)

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