学長室の窓

学長法話:365体育投注_365体育备用网址-【唯一授权牌照】@五年度成道会

2023年5月17日に行われた、365体育投注_365体育备用网址-【唯一授权牌照】@五年度降誕会法要の際の学長法話です。

皆さんこんにちは。本日は学校法人栴檀学園東北福祉大学の年間を通して最も365体育投注_365体育备用网址-【唯一授权牌照】@な行事の一つである降誕会、お釈迦様の誕生を記念する花祭りでございます。只今は厳粛な儀式の下、皆様にもお心静かに手を合わせていただきました。まことに有難いことでございます。

今からおよそ二千五百年前、所は釈迦国と呼ばれる小さな国が舞台であります。ネパールの国境に近い、インドの北の方に位置するその国には、スッドーダナ王とマーヤー夫人という仲睦まじい王と妃がおられました。仲の良いこのお二人には、一つの悩み事がありました。それは、なかなかお子様に恵まれないという悩みでありました。経典の一節に述べられているのは、お二人が三十五歳ほどの頃のことだと思われます。ある夜明け方、マーヤー夫人は夢を見ました。それは、六本の牙をもつ真っ白な美しい象が自分のお腹の中に飛び込んでくる夢でした。それが機縁かどうかはわかりませんが、ほどなくマーヤー夫人は懐妊されました。国じゅうが、「ああこれで王子様が誕生し、釈迦国はまた平和が受け継がれる」と喜び合ったそうであります。当時のインドは「十六大国」という諸国がお互いに戦争を仕掛ける戦国時代でありました。中でも四大強国と呼ばれる国々、そしてとりわけその中でもコーサラとマガダという軍事国家が、その武力を背景に大きくインドを左右しておりました。釈迦国は、そんな武力をもった国々の間で唯一武器を放棄し、小さな国を平和主義をもって維持していたと言われています。妃マーヤー夫人は、月が満ちもうすぐご出産を迎えるという時になり、実家に向かって旅を始められたのであります。今の日本でも地域によってはその風習がありますが、初産を実家で迎えるという風習が当時の釈迦国にもありました。マーヤー夫人は、コーリヤ国というネパール国境付近、厳密にはネパールに入るような位置にある国の出身だったそうであります。インドから、今のネパールを望む丘の上にさしかかったときのことでございます。真っ白いアショーカの花がたくさん咲いておりました。このアショーカの花は今でももちろん見ることができますけれども、五月の中旬、初夏の頃に咲くことで知られています。おそらくちょうど今頃のことであったのでしょう。日本ではお釈迦様のお誕生は四月の八日とされていますが、これは旧暦の四月八日ですので、今の暦に直すと五月の上旬ということになり、ほぼ同じ頃になります。東南アジアの「南伝」と呼ばれる仏教の世界的標準では、「五月の最初の満月の日」となっております。そういったわけで、本学でもこの時期に花祭りを行うわけであります。お話をご出産の時に戻します。国境付近のルンビニ—の丘、真白きアショーカの花咲き乱れるその中に、ひときわ大きな花を咲かせる一本のアショーカの大木がありました。乗り物を下りてその樹に近づき、「ああ何ときれい」と、言葉を添えてその花に手を差し伸べたその時、にわかに産気づいたのでありました。お付きの者どもは慌てました。何しろ二千五百年前の三十五歳というご高齢での初産、しかも屋外での出産。臨時のことでありますので、東西南北四方に布を張り巡らし、その中でご出産を立ったまま迎えたとあります。近くに池がありました。今でもルンビニ—にはこの池が残っております。その池の水を産湯として使われ、お釈迦さまを見事にお産みになりました。経典に後世加筆された伝説には、竜神がその時次々に現れて、温かい湯と冷たい水を注いで産湯とし、お釈迦さまを祝福したとあります。同時に、三十三の天の神様たちがおいでになったそうであります。その神様の世界は兜率天と呼ばれる所なのですが、それは私たちの人間界よりもはるか上、青空の遠く高い所にあると信じられている世界です。東西南北を守るそれぞれ八人の神が三十二、その中央に位置する帝釈天を合わせて三十三。これら三十三の神様たちが、ある者は歌を歌い、ある者は踊りを踊り、ある者は楽器を奏でるという祝福ぶりだったそうであります。ゆえに、先ほど合唱部の皆さんに美しい歌声を添えて頂きましたが、これは故事にかなった意味のあるお作法なのであります。私には先ほどの部員の皆さんが三十三人の神様に見えました。美しい調べの下でお釈迦さまは声高らかに産声をあげたことでございましょう。さて、その同じころ、インドの国に有名な仙人がおられました。アシタ仙人という名僧であります。アシタは坐禅をずっと組んでおりましたが、神々が騒いでいる様子を神通力で察知され、「今までにこのような姿は見たことがない。今までに神々がこのようにざわついている姿を一度も見たことがない。これは一体何事か」と驚き、神々に尋ねました。すると、「神々の兜率天から大地に仏が舞い降りた」と、神々が口々に叫んでいます。ゆえに「降誕会」、つまり、「誕生」の意味ですけれど、「天から大地に舞い降りた」「降りてこられた」という意味で「ごうたんえ」、地方によっては「こうたんえ」とも申します。どちらでも読み方はよろしいかと存じますが、ひとまずは「ごうたん」としておきましょう。兜率天から仏が舞い降りたということでございます。「これはすばらしいことだ。これは喜ばしいことだ」と、アシタ仙はその神様のお告げを聞き、釈迦国のカピラヴァストゥへと向かいます。お城に戻られたお釈迦様。ところがマーヤー夫人はご高齢出産の、しかも屋外での難産でありましたから、お具合がよろしくありませんでしたが、お釈迦様は健やかなお姿で真っ白なシルクに包まれてすやすやと眠っておられました。そこへ、あのインド一有名なアシタ仙という仙人が入ってきます。すると、お生まれになったお釈迦様の玉のような姿を見て、はらはらと涙を流し、あげくの果てには大泣きをされるのであります。父スッドーダナ王はその姿を見て大変心配になりました。「アシタ仙人、あなたはどうして泣かれるのですか。子供が生まれ、喜ばしいことではないですか。なのに、なぜあなたは大粒の涙を流されるのですか。」この問いにアシタ仙は答え、「スッドーダナ王よ、私は悲しくて泣いているのではない。嬉しいのだ。この子は普通の子ではない。兜率天から舞い降りた、降誕された子なのだ。この子は間違いなく立派に成長する。王が心配するように体が弱いわけではない。大人になるまで命が全うできないなどといった心配で私は泣いているのではない。かならずこの子は育つであろう。この子は、王位につけば世界を統一する転輪聖王となるであろうし、もし王位を離れお坊様となれば、この大地に生きとし生けるもののすべての命を救う魂の救い主となるであろう。けれど、この子が育ち、大人になったとき、私は高齢のためこの世を去らなければならない。ああ、私はこの子が大人になる姿を見たい。この子が大人になって説法するその言葉を聞きたい。しかし、それはかなわない。それが唯一かなしいのだ」と、こう言って涙を流し続けたといいます。スッドーダナ王はその言葉に大いに満足され、「ああ、生まれながらにしてすでに神々に約束されて生まれてきたのだから、目的をすでに達成したようなものだ」ということで、「シッダールタ」と名づけたのであります。インドの言葉で、「夢に向かって頑張ること、目標に向かって邁進すること」を「シッドゥ」と言います。その過去分詞形、つまり「すでに達成したもの」ということで「シッダールタ」もしくは「シッダッタ」という名前になったのであります。こうしてすこやかに成長されたシッダッタ太子、帝王学を学びながら父スッドーダナの王位を継承すべく王の学びを続けた少年時代でありました。時は流れ、お釈迦さまは物心がつくと自分の母親がいないことについて、周囲の者に尋ねました。お釈迦様のお付きの者は答えました。「はい、太子様、太子様のお母様はご高齢で、あなた様をお産みになり、あなたがお生まれになった一週間後に産褥熱でお亡くなりになりました。お母様はあなた様をお産みになって、命を引き換えに亡くなられました。このお付きの者の答えに、感受性豊かであったシッダッタ太子は深く命について、そしてわが身の存在について考えるようになったといいます。みなさん、どうでしょう。「自分がこの世に生まれてきたのは、私を産むために命を引き換えに亡くなっていったお母さんのおかげだった。今生きているのは死んだお母さんのおかげだったんだ」ということに気づいたとき、少なくともシッダッタ太子、お釈迦様は、幼心に深く深く「自分が生きていること」への感謝の心に満ちあふれたのでありました。ゆえに仏典は、お釈迦様がお生まれになったときに、太子の誕生の喜びと同時に、王妃マーヤー夫人のお亡くなりの悲しみに包まれ、国は喜び半分悲しみ半分の複雑な雰囲気に包まれていたと、述べています。今日はご縁をいただいて、私たちもお釈迦様お母様ののお亡くなりを供養しつつ、お釈迦様の誕生を心からお祝いし、同時に、東日本大震災でお亡くなりになられた方々の十三回忌を一緒におさめたのも、実はこうした因縁を貴べばこそのことであります。むしろ、単純に喜ぶだけのお祝いが花祭りなのではないということを皆さんに知っていただきたいと思った次第なのであります。私は今日、皆様とともに手を合わせるために、陸前高田のあの「奇跡の一本杉」の杉の木で作ったお数珠を持ってまいりました。先日も、三月十一日を挟みまして、いくつかの十三回忌法要に私も随喜させていただきました。その折々に私なりに感じたことがありました。「東日本大震災で亡くなられた方々は、亡くなられていなくなったのではない。亡くなられた尊いお命は、今も生きておられるのだ。過去の人は、過去に葬り去られる存在ではないのだ」ということであります。今の命は過去の命です。過去の命は今の命そのものであり、未来の命そのものです。私たちはお数珠を大事にします。珠の丸みは命の丸み、珠の連なりは命の連なりを意味するとも言います。過去から現在、現在から未来、そして未来はやがて過去へ。切っても切れないひとつの大きな輪でつながっています。本学でも、尊い学生の命が九名、お亡くなりになりましたが、今日、お釈迦様のお誕生をお祝いする儀式に併せて、マーヤー夫人とともに、お亡くなりになった当時の東北福祉大学の学生たちのお命を、一緒にこの場に居合わせ、手を合わせ、お祈りを互いにしあったと、私は受け止めております。こうしてお釈迦様は、命の尊さを感じつつ、やがてお坊様となり出家され、三十五歳でさとりを開かれました。さとりを開かれた後、ウパカという若い修行僧にこう話したことがありました。原始仏典ウパカ経の一節であります。「ウパカよ、人は天にも地にも、まずは尊いわれの命に目覚めることが大事である。広くこの広がる大地に、この世界に、あまたの命があれど、まずは天にも地にも尊い私が生きているという命、それは、支える過去の命、支える今の互いの命、支え合う、これから産声をあげるであろう未来の命、それぞれが融通無礙につながっている。その中で私の命を感じなさい。意訳すればおよそこのようなことを仰られています。ウパカ経、これが、お釈迦さまがお生まれになった時に東西南北に七歩歩んで「天上天下唯我独尊」と宣言されたという逸話になって参りました。時期は違えども、さとりを開いた直後の言葉が誕生の時の言葉となったのは、昔の人が「誕生日の時にこそこの言葉はふさわしい」と考えたのでありましょう。

今、私たちは生きています。この世に生を授けられて生まれてくるということは、とてもとても尊いことです。みなさんもやがて経験されるでしょう。あるいはお身内の方で経験された方もいらっしゃると思います。先生方のご年配の方には、初孫が生まれたという方もいらっしゃるでしょう。新しい家族が生まれた時、私たちは皆思います。「ああ、何とすばらしいことか」と。「この世に命が生まれるということは何と不思議なことか」と。そして、「元気であればそれだけでいい。健やかであればそれだけで十分だ」と、私たちは命の誕生に際して誰もが願うのであります。お釈迦様のお誕生を機に、命が生まれるということの尊さを、改めて皆様にも新鮮な気持ちで感じて頂きたいのであります。決して毎年行われている慣例の行事と思わないでください。命が生まれるということは素晴らしいことです。生きていられるということは奇跡なのです。大震災でお亡くなりになられた方々と、私たちは今も共に生きています。どうか、命はひとつではないということを、そしてつながっているということをこの降誕会で胸に刻んでいただけますよう、学長としてご法話申し上げた次第です。これから暑くなります。どうぞ体調に気をつけて、皆さん自身夢に向かって邁進し、「シッドゥ」し、みなさん一人一人がシッダールタとなられますように心からお祈りしてご法話を終わります。以上です。

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