学長法話:365体育投注_365体育备用网址-【唯一授权牌照】@六年度降誕会
改めまして皆様、お早うございます。本日は東北福祉大学、お釈迦様のご誕生のお祝いを祈念する降誕会でございます。
時は今からおよそ二千五百年前、仏教の教えを開かれたお釈迦さまは、今のインドの北、ネパールとの国境付近にある釈迦族にお生まれにまりました。一説には紀元前463年、日本では四月の八日との伝承が一般的でありますが、世界的には五月の最初の満月の日にお生まれになったとの伝承であります。今日は、そのお釈迦様のお生まれをお祝いする儀式で、本学では明治八年の曹洞宗専門学支校として宗侶の養成を目的に設立された本学の前身、来年で創立150周年を迎えますが、これまでの間、ただ今の儀式が脈々と受け継がれて行われて参りました。皆さんには大変古風で昔ながらの儀式にお見受けになられたと思いますけれど、これがお釈迦様の誕生をお祝いする、昔ながらの正式な御作法なのであります。
さて、お釈迦様というお方、このたったひとりのお方のお命の誕生をこうして二千五百年にわたって私たちはお祝いし、祈念して参りました。この意味を、今日は味わって受け止めていただきたいのでございます。思えば不思議なことでございます。たったひとりのお命の誕生を世界中の人がお祝いする。実はここに、尊い意味が込められているのでございます。すなわち、人ひとりの命はそれほど尊いのだという意味であります。お釈迦様の御命が尊いのと同じように、お釈迦様は人間平等を説かれました。今でこそ「平等」という言葉は当たり前に私たちは学び、使っている言葉でありますが、当時は、人々はみな「命は平等である」という教えは極めて稀でありました。あるいは世界で初めてであったかもしれません。お釈迦様の父はスッドーダナ王という釈迦族の王であります。釈迦族は、先ほど申し上げたインドの北、ネパールとの国境付近、場所も特定されております。それは、紀元前268年にインドを統一したアショーカ王という偉大な王様がおられましたが、その方がインドの統一の証として石の記念塔、「アショーカ王の石柱」というものを建てられました。その石柱の根元の部分に、「今から何年前に、このようにお釈迦様がここでお生まれになった」と刻まれているのでありまして、またその近くにピプラーワという遺跡がございます。この遺跡は1898年に考古学者のペッペという方が伝承にしたがって発掘したところ、水晶体の骨壺が出てまいりました。私も以前直接拝見したことがあるのですが、一個の結晶体の水晶、大変見事な、ちょっとエメラルド色がかかった非常に美しい骨壺でありました。その中に、真っ白な「舎利」といわれるお釈迦様のお骨が納められていました。ちなみに、舎利、正しくは「シャリーラ」と申しますが、これは遺骨のことであり、尊いことから、また、見た目も大変お米に似ておりましたので、日本ではお寿司のお米の部分を「シャリ」と申し上げるのはここから来ているのであります。いずれにしても、そのピプラーワの遺跡においても、その伝承のとおりであったということが証明されています。面積にしてちょうど埼玉県くらいの面積と言われておりますけれど、いずれ当時は「十六大国」という、大変すさまじい、十六の国どうしが血で血を洗う大戦国時代でありました。釈迦族は、その十六国にも入らぬほどの小さな民主的な国でありました。隣国のコーサラという国に属しておりましたので、半分独立、半分自主的な民主国家というようなところでありました。
スッドーダナ王には、悩みがありました。それは、跡継ぎの太子がなかなか生まれなかったという悩みであります。「スッドーダナ」の「スッドゥ」とは、「清らかな」とか「純粋な」という意味であります。「オーダナ」とか「オーラン」とかは、「お米」でありますから、「清らかなお米」「炊きたてのほかほかのご飯」というような意味であります。この父親の王の名前からも、お米づくりが主要な産業の国であったことがわかります。農耕民族にとって大事なのは、跡取りをのこすことであったようでございます。妃はマーヤー夫人といい、お互いになかなか高齢になりながらも子供に恵まれなかったようです。記録によれば、さまざまなインドの神様に「子供が授かるように」と旅をしてお願いをしていた様子がうかがえます。王族にとっては、王位を継承してくれる皇太子殿下が生まれることはそれはそれは365体育投注_365体育备用网址-【唯一授权牌照】@な役割でもありました。その願いはかない、マーヤー夫人は身ごもったのであります。当時、出産に際しては実家にもどって出産するというならわしがありました。これは日本にも伝わっている作法でもございます。マーヤー夫人はネパールのコーリヤ族の出身、このコーリヤ族と釈迦族とは、お互いにお嫁さんやお婿さんが行ったり来たりするような関係にありました。行列の駕籠は、もうすぐ故郷のコーリヤへと向かう、その国境付近、ルンビニという丘にさしかかりました。ルンビニは今でもありますが、白いアショーカの花が咲き乱れていたといいます。このアショーカの花は、「夏椿」とも訳されることがありますが、ちょうど初夏のころに咲くものであります。ですから、おそらく日本の伝承よりも、世界の伝承であります五月の最初の満月の頃とするのが近いのかもしれません。ゆえに、本学では、カリキュラムの忙しい四月を避けるという理由もありますが、五月の今の時季に降誕会を催すことにしております。
ルンビニの丘に咲き乱れる白い花々の間を、ゆっくりとお駕籠を降りて、散策されたマーヤー夫人、その中に、ひときわ大きな白いアショーカの花を見つけました。「何と麗しい」と、右手を出したその時、にわかに産気づいたのでありました。まわりの者は慌てました。突然のご出産、しかもご高齢であったということもあり、それはそれは慌てたことに相違ありません。「難産の末、右脇の下から生まれた」という伝説は、大変なご出産であったということを物語るものであります。その時、天の「ヴェーダの三十三天」という神々が、楽器を鳴らし、歌をうたい、踊りを舞ってお釈迦様を祝福したと、伝説は伝えます。先ほどお歌いいただきましたが、この合唱団のみなさんに歌を歌っていただくのは、こうした故事にそったものでございます。これにはまた、もうひとつの意味がございます。それは、新しい「仏教」というものの誕生を古くからの宗教の神々が歓迎し、お祝いし、尊い教えとして認めたという意味が、この伝説に込められているということです。
いずれにしましても、難産の末、お釈迦さまはお生まれになりました。そして、東西南北に七歩の歩みを進めた後、右手を天高く指差し、左手は大地を指差し、「天上天下唯我独尊」と宣言されたということです。もちろん、お生まれになってすぐこのようなことをするのは、常人にできることではありません。実はこの「天上天下唯我独尊」という説法は、お釈迦様がお悟りを開かれることになる三十五歳の時にウパカという若者に説法した時の言葉が、いつの間にか後世になって、生まれた時の言葉に移動したのでございます。
三十五歳のときのウパカへの説法のあらましはこうです。出家されて、六年間の激しい修行の後、お釈迦様が、さとりを開かれます。その後、ブッダガヤから西の方、およそ300キロ近く徒歩で旅をしていました。向かう先は、説法するために五人の修行仲間に出会うための旅であります。その郊外で、サールナートというところにさしかかる、その手前のことでございます。田んぼのあぜ道を歩いていると、ちょうど正面から、ウパカという若者が — これは婆羅門の修行僧であったと言われていますが — 歩いて参ります。すると、このウパカという若者は、お釈迦様の普通でない神々しい姿に、その歩き姿だけに胸を打たれるわけです。「ああ、この方は普通の方ではない。この方は尊いお方に違いない。」会話もせずに、見ただけでそう思ったウパカは、声をかけました。「すみません。あなた様は大変麗しいお方とお見受けしました。さぞや尊いご修行をされているのでしょう。私はあなたと一緒に修行がしたい。あなたの先生は誰ですか?あなたはどういう修行をしているのですか?あなたはどの修行道場で修行を続けておられるのですか?私はあなたのそばにいたい」と、こう尋ねたのでありました。すると、それに対するお釈迦様の答えはこうでした。「ウパカよ、あなたは一体何を求めて修行しているのか。『誰が先生』、『どこで修行するとさとりが開ける』というのは、それは後からのことです。物事を学ぶときはまず、己自身に問いかけなさい。そして、己が何を目指しているのか、己自身の尊さと、その心に気づきなさい。」このような意味で、「天にも地にも尊い自分自身の存在に気づきなさい」と申されまして、これがいつの間にか、生まれた時の説法になったわけでございます。ちょうど、今で言ったらこういうことでしょうか。駅前ですれ違った人に、「ああ、この人はどこの学生なのかな。どこの先生に教わっているのかな。あなたは東大の先生ですか?東北大学の先生ですか?東北福祉大学の先生ですか?どこの大学ですか?あなたの、その学校に行って学びたい。」そのような感じでございましょう。修行者ウパカは、「どこで、どのような先生か」ということにこだわったようであります。けれども、「学びというものはそういうものではない」と突き返したのがお釈迦様でした。「どのように学ぼうとも、まずは学びの第一歩、修行の第一歩、いやもっと深い所へ行くならば、人生という、一日を送るその第一歩、まずはおのれ自身がどのような一日を送るのか、どのような人生を送りたいと心に誓うのか、おのれ自身の心にもっと正面から向き合いなさい」という意味であったと、私は解釈しています。
残念なことに、ウパカという若者は、「ああそういうことも大事かもしれませんね」と言って通り過ぎてしまったというのです。ウパカにとっては、惜しいチャンスを逃したものであります。いずれにせよ、この「天にも地にも尊い我に目覚めよ」ということは、洋の東西を問わず、全人類にとって大事な学びの一歩であろうかと思います。たとえば、ルネ?デカルトは言いました。「われ思う、ゆえにわれあり」この言葉が『方法序説』の教えとして記されて近代哲学が始まり、また、本学の建学の精神、曹洞宗の道元禅師も、「仏道をならうといふは自己をならふなり」とお示しであります。このように、命あって生まれるということは奇跡であります。尊いことであります。まずは、この御命を生きるという奇跡を、お互い喜び祝福し合おうではありませんか。それを伝えんがために、ただひとり、お釈迦様という人間ひとりの命の誕生を二千五百年経ってもこうして古式ゆかしく行事として受けついているのです。すなわち、地球上のすべての命、遠いものでも近いものでも、過去の命も未来の命も、小さな命も大きな生き物の命も、すべてみな尊い御仏の命なのです。父があり、母があり、また父と母にはさらにまた父と母がいる。私たちは無限の数の命の紡ぎによってこの奇跡の誕生を見ました。今ここに居合わせているそのお互いの同じ時代、同じ場所に生きているということだけでも、奇跡なのであります。いただいた命、与えられた一生は、一度きりです。今日は2024年の5月29日で、この瞬間は未来永劫ふたたび繰り返すことはまいりません。そんなはかり知れない大宇宙の、はかり知れない悠久の時を、今ここで出会い、生きている私に気づく、これこそが、天にも地にも尊い我に目覚めるという、「天上天下唯我独尊」という教えの文意かと存じます。
悲しいことに、マーヤー夫人は一週間後、産褥熱がもとでお亡くなりになりました。おそらくは、自分の御命は母が命がけで産んでくれたものだと自覚されたに相違ありません。誰もが同じ尊い命をいただいています。今日はお互いにそれを祝福させていただいたということで、この行事を思し召しいただきたいと存じます。以上、学長講話でありました。
この記事に関するお問い合わせ
- 広報部PR課広報担当
- 住所:〒981-8522 宮城県仙台市青葉区国見1?8?1
- TEL:022-717-3345
- FAX:022-233-3113
- E-Mail:koho@tfu.ac.jp