第23回企画展「むかし、秋保まで鉄道が走ってた。」

2014年12月5日(金)~2015年3月7日(土)

大正3年(1914)12月に馬車鉄道として開業した秋保石材軌道は、その後、大正14年(1925)に762mmから1067mmに改軌し、また電化され、秋保電鉄の通称で昭和36年(1961)まで走り続けました。地域の足として、また秋保温泉への365体育投注_365体育备用网址-【唯一授权牌照】@鉄道として人々に親しまれたこの鉄道は、小さいながらも特色のあるユニークな車両でも全国的に知られました。この展覧会は、廃止から50年以上たっても、まだ人々の記憶に残り続けるこの小さな鉄道のあゆみを、開業100年を記念して、あらためて紹介するものです。

【主な展示構成】
①馬車鉄道開業、そして、秋保電鉄へ
名取川上流域に分布する凝灰岩(秋保石)は、近代化が進む中で建築資材としての需要が高まりました。また、秋保温泉湯治客の増加もあって、石材と温泉客の輸送を目的とした鉄道の敷設が計画され、大正2年(1913)6月、秋保石材軌道株式会社が設立され、翌年12月に長町と湯元を結ぶ馬車軌道の営業が開始されました。
秋保石材軌道の開業によって、秋保石の輸送の便は大きく向上しましたが、長町—湯元間が2時間半もかかる状況は、旅客輸送の面ではまだまだ不十分でした。そのため、動力の電化によって輸送力を向上することが計画され、大正14年6月に軌道の拡幅と電化工事が完了、電気鉄道として生まれ変わりました。社名も、秋保石材電気軌道、秋保電気軌道、そして昭和19年に秋保電気鉄道と変遷しました。
馬車鉄道として発足した秋保石材軌道株式会社の起業資料や、電化?軌道拡幅についての資料や写真で、秋保を走った鉄道の軌跡を追います。

②秋保を走った車両
秋保電気軌道(後に秋保電鉄)は、電気機関車2両、電車3両で営業を開始しましたが、旅客の増加に伴い、他鉄道から電車の譲渡を受けるなどして輸送力の増強を図りました。電車はいずれも小型の単車でしたが、第二次世界大戦後、一部の電車にボギー台車をはかせるという改造を行っています。一方で、ポール集電でバッファー連結器といった古い形態が残り、また電車が貨車をけん引することもあるなど、秋保電鉄は他には見られないユニークな車両が走る鉄道として、全国的に知られるようになりました。
秋保電鉄に関わった職員や鉄道ファンが撮影した写真?映像?模型を通して、ユニークな鉄道の姿を見て行きます。

③秋保電鉄のその後
秋保電鉄は、馬車軌道時代から西方への延伸が計画され、また電気鉄道になってからは、山形から奥羽山脈を越してくる鉄道敷設計画が有り、それと接続する予定もありましたが、実現には至りませんでした。第二次世界大戦後、営業成績が振るわず、仙台市交通局による買収の動きもありましたが実現をみず、車両や施設の老朽化が進むなかで、営業成績の向上や設備更新のめどが立たないことから、昭和36年(1961)5月をもって営業を廃止することになりました。

主催:東北福祉大学?鉄道交流ステーション
特別協力:仙台市博物館
協力:宮城県公文書館、秋保?里センター、仙臺庫、NPO法人20世紀アーカイブ仙台
後援:宮城県教育委員会、 仙台市教育委員会、河北新報社、東北鉄道協会、(社)交通環境整備ネットワーク、みちのく鉄道応援団

この記事に関するお問い合わせ

地域創生推進センター 生涯学習ボランティア支援課内(「鉄道交流ステーション」資料係)
住所:〒981-8523 仙台市青葉区国見1丁目19-1
TEL:022-728-6612