*With TOP > VOL.05 NOVEMBER 2002 > 
* * * * * *

【学習サポート】

[文学入門] 夏期スクーリングを終えて

助教授
花井 滋春
*

 先般,初めて通信教育の夏期スクーリングを担当して,大いに困惑した。それは,受講する人々の進度がどれくらいなのかを推測しきれなかったからである。担当者に尋ねると,テキストに一度も目を通していない人もいれば,逆に全て終わってしまった人もいる,という。一体,どこを基準にして講義したら良いのやらと,ほとほと困り果ててしまった。仕方ないので,ぶっつけ本番,教壇に立ってから決めることにした。ただ,何の準備もなしに講義できるほど老練ではないので,1?2単位目の課題を終えた人を基準として,3?4単位目のレポートが書けるような講義を準備した。実情は概ね,それで良かったようである。

 水を汲もうとする時に,器が小さすぎて水の大半が溢れ出しても,逆に器が大きすぎて水が半分にも満たなくても,そのいずれであっても汲む側にとっては不本意であろう。講義する側と受講する側の関係も同様であって,程良い均衡というものが満足の要諦と思われる。その意味で,今後文学入門のスクーリングを受講しようという方々は1?2単位目の課題を提出した段階,そうでなくとも最低限の準備として第1章を読んでから受講されることをお願いしたい。
 文学入門の場合は1?2単位目のレポートは第1?2章を読めば書けるようになっており,この課題は比較的容易にクリアできる。しかし,3単位目?4単位目はかなりきつい内容で,課題をコツコツとこなしていく孤独な作業はともすれば気弱になっていくのではないかと案じている。スクーリングを通して短時間で課題をクリアするというのもそれはそれで,有効なのではなかろうかという気がするのである。

 近年,インターネットの普及によって飛躍的に情報量が増加した。かつては図書館や資料館に出かけて必要な論文リストを作成しなければならなかったのが,今ではインターネットを使って検索をかければ,たちどころに必要な情報を得ることができるようになった。また,その論文が近隣のどの図書館で入手できるのかさえいながらにしてわかるのである。検索する内容にもよるが,比較的簡単にまとまった資料も得られる。学生が提出するレポートの質が以前よりも向上している。インターネットのない時代の学生とそれを活用する学生とでは,同じ努力をした場合,確実にインターネットを活用する者のほうが有利である。

 科学の進歩はわれわれの想像を遙かに超えたところで進んでゆくが,人間の営み自体はそれほど変わらない。『枕草子』の中で清少納言は「何事を言ひても“そのことさせむとす”“言はむとす”と言ふ“と”文字を失ひて,ただ“言はむずる”“里へ出でむずる”など言へば,やがていと悪し」と,最近の若い人たちは「むとす」というべきところを省略して「むず」と言うが,あれは品が良くないと言っている。彼女はそう言いながら,自分たちが使っている「求む」を「みとむ」と言うのは一般化しているから良いのだと言う。何のことはない。自分たちの流行語は良いが,新世代のは悪いと言っているわけで,単なる世代間の対立に過ぎない。
 千年も昔のことである。そう言えば松平定信も『花月草紙』に似たようなことを書いていた。「“自分たちの世代で流行した半襟のおしゃれはよいが,最近のやり方は品がない”などよく耳にするが,それは自分たちの世代を基準にしてものを見ているに過ぎないのであって,どの世代にもあることだ」,そんな内容だったと記憶している。

 情報量が狭ければ,ものの見方に偏りが出てくるのは避けられないことである。自分の周りの世界が広がれば広がるほどに見識はリベラルになっていく。世界はインターネットや教育機関の広がりによって大きく開かれた。瞬時にしてあらゆる情報が手に入る。あとは,それをどう活かせるかにかかっている。情報を受容して,それを自身の中に再生産してゆく努力を惜しまないで欲しいと願っている。

1つ前のページへ*このページの先頭へ

*
*
(C) Copyright 2002 Tohoku Fukushi University. all rights reserved.
*