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【現場から現場へ】

[OB MESSAGE] 医療福祉の現場から

塩竈市立病院医療福祉部
医療福祉情報企画室 室長

山本 邦男
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●入学回想

 1969年春,福祉大のキャンパスは学園民主化を呼びかけるアジ演説と政治闘争の立て看板の中にありました。私は大学の「喜心寮」に入り,硬式野球部に籍をおきました。寮生活では,沖縄から北海道まで実にユニークな先輩等に囲まれました。クラブ先輩の説教の理不尽さは世の中の「必要悪」として少々のことではへこたれない精神を,寮内の政治的な議論から「権力」に媚びない反骨精神のようなものを学びました。

●就職と恩師

 1973年の春に現在の職場に就職したのは恩師の足利量子先生(現東北福祉大学名誉教授)との出会いがあったからです。ケースワーカーの名称さえなじみ薄い時代でしたから,先生も「この道は一人雪山を登る覚悟で」と送り出してくれました。それはルバングで発見された小野田少尉の「命令を解かれる」まで降伏しないという心境に似ています。多かれ少なかれその当時の福祉大学卒業生に共通した社会へ巣立つ時の感情であったと思います。

●塩竈市のこと

 当院所在の塩竈は仙台市の北東に位置する歴史の古い港町です。周辺地域に日本三景松島,大和政権国府の多賀城市,ワールドカップ試合会場の利府町など二市三町に接しています。人口6万2千人,主たる産業はかまぼこ加工や年間550万トンの貨物商港,168億円の水揚げを誇る漁港,そして松島湾を臨む観光です。
 この小さな港街は坂道と細い路地の地形を有し,人口密度,独居老人の比率,生活保護率の高さで県内上位を占め,高齢社会の医療と福祉のサービスに大きな課題を残しています。

●医療福祉部の紹介

 当院は塩竈市の病院です。医療福祉部は1985年に創設され,診療部,薬剤部,看護部,事務部と並んで病院組織の大きな柱となっています。2000年1月には医療と福祉の統合化を目標に医療福祉情報企画室を新たに設置しました。同室は医療福祉科,介護保険科,在宅ケア科の3科から構成されMSW(医療ソーシャルワーカー)3名はいずれも東北福祉大の出身です。

医療福祉情報企画室の組織

●仕事の回想

 大きな柱となっている在宅ケアは1975年,院長とMSW,看護師による巡回診療としてスタートしました。時代は老人医療費無料化(1973年)制度で「福祉元年」といわれて間もない頃でした。福祉元年と謳われても,実際に在宅で療養する条件は皆無に等しく,施設はごく限られた高齢者のものでした。この小さな港町のMSWに寄せられる相談も貧しい我が国の福祉の縮図として例外ではありませんでした。
 中小加工業の労働者の賃金は入院即生活保護申請の状況にあり,労災事故や解雇を巡る相談も後を絶ちません。労災事故の社会復帰相談で,ビルの4階位にあたる造船所ドックの作業の足場を目にし,医療福祉援助はこの現場を理解することなしには成り立たないという体験をしました。また,若い私が外来治療を勧めても応じない一人暮らしの高齢者の女性に手を焼いているとき,「先生の前で汚れたままの下着では行かれない」という心情を知り,医療の対象はそれらの現実の地域社会と生身の人間そのものであることを改めて思いました。入院中の生活保護申請では,福祉事務所職員の「そんなに永く生きて,貯金ないんですか」との言葉に女性は退院を申し出ました。彼女は戦時中,国策で夫と共に渡った満州で敗戦を迎えます。夫は病死,子供は逃避行中に1人が死亡,傷心のうちに帰国しました。それから子供の成長を楽しみに夢中で働き,大学まで出したのですが,その子も病気で失っています。貯金する余裕のない生活だったと涙ながらに胸の内を吐露しました。
 医療も福祉も人間の深い悲しみに接するものです。人間の言葉は人を励ますことにも,深く傷つけることにも用いられます。それは技術であることを教えられ「雪山に登る」意味を痛切に感じた時でした。巡回診療は医療福祉部創設と共に訪問診療となり,医師にも看護師にも単なるパターナリズムではなく地域や生活を知るという意味で反面教師となりました。

●医療福祉情報企画室の現在

 さて医療福祉情報企画室は,(1)居宅介護支援事業としてケアプラン作成件数月156件,(2)訪問看護サービスは月延べ件数323件,(3)医師による月訪問回数110件,(4)訪問リハビリテーション月10件,(5)当院療養病棟ショートステイ利用日数月平均190日,(6)MSWによる医療福祉科相談月平均相談140件等の業務を担っています。
 訪問診療は当院常勤医師15名全員による体制を組み,訪問看護は二市三町にまたがります。対象者は人工呼吸器,在宅酸素,胃ろう,経管栄養,ガン末期の患者さんなどです。在宅医療のアセスメントは医療福祉科MSWが担当し,その評価をもとに毎週の在宅ケアカンファレンスの会議を企画します。当院在宅ケア対象者の約8割は当院の6名のケアマネージャーにより作成され医療福祉の連携の場となっています。

●最後に

 介護保険制度がスタートして間もなく3年目を迎えます。同制度は従来の「措置」による福祉サービスを市場原理による「契約」へと転換させました。同時に医療サービスも利用者と家族の自己責任において選択的に利用される流れができました。それは医療費抑制策のなかで自治体立病院であることの役割を改めて問われる契機となっています。経済性にシフトすれば公共性が薄くなるし,公共性が強調されれば経済性が薄くなる。従来のシフト移動だけでは病院運営は成り立たないとう危機感があります。
 今時代の要請とし,(1)医療の質,(2)医療の透明性,(3)医療の効率性が365体育投注_365体育备用网址-【唯一授权牌照】@視されています。そのためには(1)組織目標と理念を持ち,(2)職員がプロとして自己実現できる風土を作ることが必要だと思っています。それは医療における私どもMSWにとっても大きなチャンスであり,必要とされる時代が到来しているのだと思います。
 さて,野球部のことです。在籍の4年間に仙台六大学リーグ初勝利の瞬間にグラウンドにいたのは幸いでした。今はまるで夢を見ているような強さです。再建に努力してこられた歴代の関係者の方々に深く敬意を表します。そして誇りに思います。高校まで野球に全く縁のなかった私が仙台六大学リーグ戦に出場できたのも今は軽視されがちな「継続」は力を信じたからです。社会福祉の道を目指す皆さん,夢を持ち,「雪山」を一緒に登ってみませんか。

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