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VOL.51 MAY 2008

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[福祉心理学科] 新入生?進級生のみなさんへ

講師 中村 修

 新入生の皆さん,ようこそ福祉大へ! そして進級生の皆さん,お疲れ様です!
 通信教育部事務室より「心理学を学ぶこと全般に関するメッセージを」という依頼を受けてこの文を書いています。これまで福祉心理学科から毎春この題目でメッセージを書いた先生方の原稿を拝見すると(通信教育部ホームページや『福祉心理学科スタディガイド』でバックナンバーを見ることができます,ぜひご一読を),私が読んでも身の引き締まるようなメッセージが並んでおり,いまさら私から何を言えばいいのかという気にもなります。
 ただこれは,もしかしたらこの『With』を見ている受講生のみなさんが感じている気持ちと同じかもしれない,と思いました。「テーマ(課題)は出ている,でもそれで何を書けば良いのか……」ということですね。皆さんに負けてはいられません,それではこの春の時期にあらためてお伝えしたいことをまとめてみたいと思います。

◆心理学に対する期待

 みなさんは何を求めて心理学を学ぼうとしている(学んでいる)でしょうか? 「学士」という資格が欲しいということは「大学」に入学する上で共通でしょうが,特に皆さんは「福祉心理学科」という心理学を専門にする学科を選ばれたわけです。そこには心理学を学ぶことで得られるものに対しての「期待」があることと思います。
 話は飛ぶようですが,以前半年間行った授業(通信制ではありません)の最終回に感想を求めたところ,次のようなものがありました。なお,その授業は1年生対象の心理学の「入門」にあたる授業です。
 「心理学を聞いたら,女の子の気持ちがわかってモテモテになれると思ったのに,そういうことが聞けなくて残念でした」。
 もしかしたらこの学生はふざけていたのかもしれません。しかし,ほんとうにそう思って半年間の授業を聞いていたのかもしれません。どっちなのかはわからないのでそれはともかくですが,この感想を読んで私が思ったこと,みなさんはどう考えますか? なお,心理学を学べば他人の気持ちがわかるようになるか,という問いに関しては,これまでの『With』(特に各年5月号)に載っている各先生方の解説を読んでいただければと思います(なお,今回の答えのようなものを強いて言えば「この程度の情報じゃわかるわけがない!」でしょう)。
 この感想に対して私が思ったのは,「そういうようにしか心理学を捉えていないんだ,この半年の授業は何だったのかな」という無力感に似たものと共に,「授業で聞いたことを,『女の子にアプローチするために使うとすればどうなるのかな?』とは考えなかったんだなあ,もったいない」ということでした。先に皆さんがもつ「心理学に対する期待」について触れましたが,結局その学生が述べた心理学(の講義)への「期待」に私は応えることはできなかったわけです。しかし,先の授業のことでいえば,「こういう場合の女の子の気持ちとは……」と解説する,あるいは「女性にアプローチする場合の例でこの学説を説明すると……」というようなことがなければ,期待したことについては得られないのでしょうか。
 もし皆さんが「誰かを理解したい」「誰かを援助したい」もしくは「自分を理解したい」「自分の役にたてたい」という期待をお持ちだとしたら,それはそれでいいのです。それが皆さんのこれからの学習を支える「モチベーション」になるのですから。ただし,心理学の授業をいくつか聞いたり本を数冊読んだりすれば「たちどころにわかるようになる,できるようになる」ということはなかなかないということもまた確かなのです。

◆疑問をもつことの大事さ

 先に「使うとすればどうなるのかな?」と書きました。この「疑問」についてですが,私は疑問には2つのものがあると思っています。一つは「よくわかっていないから感じる疑問」と,もう一つは「あることがわかったからこそ出てくる次の疑問」です。この後者の疑問は,学んだことと自分の目の前にあるもの?自分が役立てたいと思う領域との「ズレ」を埋めるための疑問と言えるでしょう。そして,ただ疑問に思うだけではなく,「もしかしてこうなるのでは?」という自分なりの(仮の)答えをもって確かめてみる,さらにダメだったら修正してみる,こういったプロセスを続ける限り,皆さんは「科学者と同じ」ことをしていることになるのです。
 ただし,「思いついた答えを確かめてみよう!」と即実践に移すというのも危険ですし(生兵法かもしれませんし,「倫理」の問題も絡みます),ここでお勧めしているわけではありません。皆さんには実践ではなくとも自分なりに「こうだとするとこれはこういうことなのか?」と考えたことがいったいどうなのか確かめる機会があります。それが皆さんのメインの課題,「レポート」です。

◆レポートは「内容」だけではない

 「自分なりに考えた疑問と答え」を持ち,レポートに書くにあたって注意することがあります。それは,「私」の考えを「他人にも」わかってもらう,という努力です。「私はこう思う」と述べるだけでいいのなら,わざわざ大学で学ばなくても,そしてレポートをせっせと出して評価を受けなくてもいいのではないでしょうか。つまり,この通信教育課程で行われるのは,皆さんと我々教員との間で「心理学」という共通の土台にたった上で,そこから(論理的に)展開される皆さんの考えを我々が吟味するということになるでしょう。
 そのためにも,レポートでは「何を書くか」だけではなく「どのように書くか」という点にも十分に留意する必要があります。これは「レポートの構成」と「表現」に関することです。まず「構成」ですが,書くべき内容は揃ったとして,書く「順番」はそれでいいでしょうか。そして「表現」ですが,美文名文である必要はないとして,ちゃんと言葉は足りているでしょうか(逆に妙に“散文的”“文学的”表現が多用されているのもレポートしては???です)。「わかっているけどうまく表現できない」ということもあるかもしれませんが「伝わるように表現できて」はじめてレポートとして成り立つわけですよね。

◆自分で例を作り出すということ

 ご自身の考えをレポートに反映させるときに,最もよく使われる手段が「例を出すこと」ではないでしょうか。教科書に載っている例をそのまま引用するのではなく,自分で適切な例を「作り出す」ということは「このことは身のまわりのものに具体的にどうあてはまるのだろう?」という疑問への答えにあたるものに他ならないと思うのです。
 ただし例は「両刃の剣」です。説明すべきことへ適切な例が挙げられている場合,それはプラス評価のポイントになります。では,不適切な例はどうなるでしょう。皆さんのレポートに書いてある例がピンとこない場合には「ちゃんと理解していない」と評価せざるを得ないのです。「両刃なら例なんか書かない」と思われた慎重派の方,いらっしゃいませんか? 確かにその手もありますが,それはそれで「文献をまとめただけではものたりない」「独自の視点に欠ける」なんてコメントがくっついてくるかもしれません。そう単純にはいかないのです。

◆おわりに

 ここまで読んできて,「そんなこと言われても……」と足がすくんだ方もいらっしゃるかもしれません。しかし,まずはレポートをどんどん出してみてください。もちろんそれなりにちゃんと書いたという自負のもとにレポートを出してほしいとは思いますが,自信がなく再提出になりそうな気がしても,出してみて我々の付けるコメントから「じゃあどうすればよかったの?」と考えること(疑問に思うこと)が大事なのです。これは実際に再提出になった場合だけではなく合格となった場合でも同じです。合格すればそれで終わり,ではもったいない! いつまでも「これでいいのか?何がよかった? 何が悪かった?」と問い続けていただきたいと思います。
 このプロセスは「転びながら自転車の乗り方を覚える」ような,辛くて痛い営みかもしれません(さあ,この例は「適切」でしょうか?)。どうぞめげずにがんばっていただきたいと心から願っています。レポートで,スクーリングでお会いすることを楽しみにしています!

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