仏教専修科
活動記録:365体育投注_365体育备用网址-【唯一授权牌照】@四年度降誕会
活動概要
理事長あいさつ
みなさんお早うございます。まだ眠いでしょうかね。(大きな声で)お早うございます。今までコロナ禍の中でさまざまな制約があった中でも、この行事は毎年続けておりましたけれども、こうやってみなさんを前にしてできるのは、三年ぶりでございます。この大学では色々な行事がございます。「行学一如」「自利利他円満」を旨として、さまざまな行事、そして授業が行われておりますので、これからみなさんまた一年頑張って、なりたい自分に近づいていって下さい。よろしくお願いいたします。
学長法話
改めまして、皆様お早うございます。今日は花祭り、降誕会。「こうたんえ」とも「ごうたんえ」とも申します。厳粛な行事が建学の精神に基づいて行われました。ご参加まことにありがとうございました。「降誕」、この世に舞い降りたとのことです。私たちは、生まれると「お誕生」と申しますけれど、伝説になるような聖者の位になりますと、「降誕」と申し上げます。
ひとりの人間としてこの世に生を享けられたお釈迦さま。時は紀元前四六三年の四月の八日と、日本では伝えられております。ただし東南アジアでは「五月の最初の満月の日」と言われておりますので、ちょうどこの学園で行われる降誕会に、日は近いのでございます。多くの仏伝やさまざまな経典がそのご様子を伝えておりますが、まずは天の神々がお祝いをし、衣の袖を振って、大きくゆらゆらと衣を揺さぶりながら大喜びをされたとあります。これは、仏教という当時としては新しい教えを、古くからあったさまざまな宗教が受け入れたということです。古い宗教が新しい宗教を受け入れたとは、仏教の寛容性を示すものと言われております。今日はその物語のご様子を申し上げることといたしましょう。
時は紀元前五世紀、春から季節は夏へと移ろうとしているそのある日、インドのアシタ仙人は夢を見ました。アシタ仙人とは、当時のあらゆる学問や知識を積んだ学者であります。王族の知恵袋として活躍されていた方であります。明け方の夢に、天の神々が踊りを踊り、衣を振るいながらざわめいておりました。不思議に思ったアシタ仙は、「何をそんなに喜んでおられるのですか」と神々に尋ねました。すると、「この世に仏さまが舞い降りることになった。この世に、約束されたあの方がついにお越しになられると聞いた」と言います。その三十三の古き神々が、その感激の姿をもってアシタ仙にその話を説くと、目覚めたアシタ仙は「これは駆けつけなければならない」と、釈迦国の城カピラヴァスツへと向かいます。「カピラヴァスツ」の「ヴァスツ」とはお城のことですので、「カピラ城」という、王族のお城です。釈迦族の国は、面積にするとちょうど埼玉県と同じくらいでありまして、インドとネパールの国境付近にある、八千メートル級のヒマラヤの山々の麓の、山あいの国でありました。一方、王族たちもお慶びの準備をしておりました。それは王様の妃、マーヤー夫人が懐妊され、もうすぐ出産されるというその準備であったのです。当時の風習にならい、ご出産はマーヤー夫人の生まれ故郷であるネパール王室へと向かっておりました。国境を越えて、今のネパール領に入ったところに、ルンビニという場所がございます。ルンビニは、アショーカの花が咲き乱れる、それはそれは美しい丘でございました。マーヤー夫人は初産であり、しかもなかなかお子様に恵まれなかったため、ご高齢の出産でございました。そのため、旅の一行はマーヤー夫人のお体を気遣い、休憩をとることにいたしました。あまりにも美しいルンビニの丘の真白きアショーカの花をご覧になり、乗り物のお車から降りられると、ひときわ大きなアショーカの花を見つけ、その高き枝に右手を伸ばし、「何と美しいことか」と声をお出しになったその時、にわかに産気づかれたのであります。ご高齢の初産であります。しかも、屋外での突然のご出産。かなりの難産であったには相違ありません。しかし何とかご無事にお子様をお産みになりました。その時に産湯を使われたという、その場所も残っております。仏伝には、天の神々が龍となって現れ、冷たい水、温かい水を優しく注いだという、「灌仏」の伝説も記されております。今日の灌仏は、その故事に倣ったものでございます。お生まれになったお釈迦さまは、東西南北に七歩の歩みを進められ、右手を天高く指差し、左手は大地を指差して、「天上天下唯我独尊」と宣言されたと伝えられております。このお話、皆様はどう受け止めるでしょうか。もちろん、お生まれになってすぐにそのような言葉を発するとは常識的には考えられません。実は、近年の研究で、この「天上天下唯我独尊」のもともとの出典は、別の経典に記されていることがわかっております。それは、後にお釈迦さまが三十五歳となられたとき、菩提樹の下でさとりを開かれた後、最初にウパカという若者に説法した時の話であるということであります。このウパカ青年との対話はその後、「初転法輪」という最初の説法の前に位置づけられることから、おそらく後の時代に、三十五歳でさとりを開かれた後に最初に話されたウパカに向かっての説法がいつの間にか、この世にお生まれになって最初に声を発せられた言葉の場所に移動したものと思われます。今日は大学の授業でもありますから、ウパカ青年とのやりとりについて若干ここで説明申し上げます。この「天上天下唯我独尊」は、お釈迦さまがブッダガヤというところでさとりを開かれた後、最初の説法の相手を見つけるため、鹿野園、サールナートという所を目指し、西へ西へと三百キロあまり歩いた場所で、田んぼのあぜ道のようなところで出会ったのではないかと言われています。正面から、さとりを開かれた三十五歳の若きお釈迦さまがやってきます。こちら側からはウパカがやってきます。あまりにも神々しい威風堂々としたお姿に胸を打たれたウパカが思わず声をかけたとあります。「あなた様は普通の方ではないように思われます。あなたの姿はとても神々しく見えます。私はあなたのような立派な方といっしょに修行がしたい。あなたの先生は誰でしょう。あなたの修行されている、その修行の場所はどこでしょう。あなたの先生に、私も会いたい。どうか、あなた様のそばで一緒に修行させて下さい」と、次々に質問の言葉を発しました。するとその時にお釈迦さまは答えられました。「私は、先生があってさとりを開いたのではなく、今までこの世になかった新しい教えを私は説こうとしている。さとりを開いた者なので、天にも地にも、私が最初にさとりを開いた者である。おのれ自身が尊い存在なのである」と答えられたとあります。これがいつの間にか、お生まれになった時の話となりました。
皆さんに改めて問いかけましょう。「天にも地にも尊い私の存在」とは、どういう意味でしょうか。直接的にこの意味を解釈しますと、ウパカという人は誰かに頼って、「どこで修行すれば立派になれるのか」という、場所やあるいは修行の — 何と言いますか — 「格」と言いますか、現代風に言うならば、「あなたの大学はどこですか」「あなたの先生はどんな有名な先生ですか」「あなたはどんなすばらしい学校に通っているんですか」と矢継ぎ早に聞いたようなことかもしれません。ですからお釈迦さまは答えたのです。「ウパカさん、あのね、勉強というのは、どこで勉強すればいいとか、どんなすばらしい先生に会うといいとか、それに最初にこだわるものではないのだ。まず、ウパカさん、あなたが何を学びたいのか、あなたがどんな人間を目指しているのか、あなたが目指しているもの、あなたが学びたいもの、あなたがどういう風に修行したい、勉強したいのかという、その動機、あなた自身にまずは目覚めてください。でなければ、どんなにすばらしい教えをいただいても、どんなにすばらしい場所に通っても、決して自分に見につく学びはないのだ。」おそらくはそのようなことであったと、想像しています。「天上天下唯我独尊」、その「我」は、大本をたどれば「私」といういのちであります。おのれがどう生きるのか、おのれがどういう人間になりたいのか。命の誕生の時、命の尊さを見つめながら、まずはその己が目指すものは何なのかを問いかけよと、仏典は教えているのです。
その後、マーヤー夫人はご高齢の難産のため産褥熱に冒されて一週間後にお亡くなりになりました。仏伝は、当時の釈迦国は皇太子のお生まれになった喜びと妃のお亡くなりになった悲しみが複雑に入り混じる非常に微妙な雰囲気が漂っていたと伝えています。命の誕生は確かに喜びです。しかし同時に、お釈迦さまは幼き頃思ったに違いありません。「私が生きているそのおかげは、自分の母親が命がけで死を覚悟してまでも自分を産んでくれたということを、おそらくは深く胸に刻んでおられたに違いありません。今在るは、命を紡いでくれた過去の命のおかげであります。今ある命は、与えられた命であると同時に、皆さんがひとりひとり、自分自身の人生をこれから一歩ずつ歩んでいくための大事な御命であります。
最後に、道元禅師の和歌をお伝えいたしましょう。道元禅師の和歌に、「水鳥の行くも帰るも跡絶えて、されども道は忘れざりけり」とあります。鳥は、鳥の道、鳥道というものが見えているのだそうです。もちろん伝説ですが。鳥は大空を自由に飛んでいるようでいて、決してその道を見誤らない。故に、どんな渡り鳥も道に迷うことなく飛んでいくことができるのだという伝説です。かくして、人間も同じです。大空をはばたく鳥のように、与えられた命は自由です。けれどもそこには、人が人として歩むべき道というものがそれぞれあろうかと思います。人生の第一歩としてウパカ青年に説いた言葉「天上天下唯我独尊」、それは、「大空をはばたく鳥のように私たちの人生が自由でありながらも、その一歩は自らが目指すべき人の道の一歩でありたい」、そんな願いにも聞こえてくるのであります。
水鳥の行くも帰るも跡絶えて、されども道は忘れざりけり