仏教専修科
活動記録:365体育投注_365体育备用网址-【唯一授权牌照】@四年度仏教専修科開講式
活動概要
学長法話
本日は東北福祉大学仏教専修科開講式、先ほどは儀式にご参列まことにご苦労様でございました。365体育投注_365体育备用网址-【唯一授权牌照】@四年がいよいよ始まりました。諸先生、そして学生諸君、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
特に、新入生として仏教専修科にお入りいただいた皆さん、改めて入学おめでとうございます。ようこそ専修科へお越し下さいました。儀式は終わりましたので、脚の方は — 崩してと言ってもなかなか崩せないと思います — 崩しましょう。ひざを抱える形でも結構です。どうぞどうぞ。どうぞ遠慮なく崩して下さい。痛くなったら途中からでも崩して下さい。
改めて、よくお越しいただきました。「袖すり合うも他生の縁」と申します。「たしょう」というのは多い少ないの「多少」ではございません。「他生」と書きます。つまり、「他生の縁」とは、今偶然隣り合わせにいると思っている人が、実は前世からご縁があったのかもしれないということです。前世からの色々なご縁があって私たちはここにこうしているのかもしれないと、思うところもございます。私が申し上げたいのは、そういうご縁を頂いたということはとてもありがたいことで、感謝の気持ちでいっぱいになって儀式を勤めさせていただいたということであります。特に新入生の皆様は十一日から本年度の授業が始まって、まだ十日目くらいです。どうですか?まだ慣れていらっしゃらない方も多いかもしれません。キャンパスのどこに何があるのかもまだよくわからないという方もいらっしゃるかもしれません。また、二年生、三年生、四年生にしても、この二年あまりコロナ下において、なかなか思うように勉強ができなかったかもしれません。本年度もどうなるかはわかりませんけれども、少しでも多く、こうして顔と顔を突き合わせる機会が増えて、そして生きた勉強をしていただきたいと思います。この仏教専修科は仏教学部としてあるのではなく、仏教専修科というコースとしてあるのですから、学生のみなさんはひとりひとりがそれぞれの専門分野をもっています。でも、そこで思ってください。他の大学の仏教学部にはできない学びがこの仏教専修科にはあります。それは、将来、仏教を自分の人生の目標として、お寺に戻りたい、お寺の住職になりたいという人はもちろん、あるいはいずれにせよお寺とご縁を結んで生きていくにあたって、皆さんが今それぞれ専門に学んでいる資格や実習、こういったことをお寺の世界のプラスアルファとして、ただお寺だけではなく、そこにお寺として活躍できるもうひとつ、福祉や教育、心理や医療というそれぞれの専門分野を、仏教の力を活かしながら、さらに仏教の力を活かすために、学んでいただきたいと思います。ですから、それぞれの授業にこのコースを加えて勉強されるという方にとっては、大変な部分があるかもしれません。でも、先輩の皆さんもついています。先生方はみんな優しい方です。儀式があると怖い儀式のように思われるかもしれません。緊張感もあったかもしれませんが、私の知る限りでは優しい先生方ばかりです。どうぞ安心して、困った時には先生方を訪ねていただきたいと思います。自分の学生時代は、先生の研究室を訪れるというのはすごくハードルが高く、緊張するものでした。でも、先生方の方では「いつでも来てください」と思っていらっしゃるはずです。おそらくは、オフィスアワーというんでしょうか、授業の合間の時間を見つけて、いろんな先生を訪ねてみてください。用があっても、用がなくても、先生方を — 職員のみなさんを含めて — 頼りにして下さい。いつでも皆さんのお力になれるはずです。
さて、初回から、学長の話が長いと脚が痛いかもしれませんが、短くお話しします。それぞれの自分の学びの他にここにこうして、この法堂 — お寺で言えば本堂ですが — に実際に来ていただいたということが大事なんですね。「勉強だったら、家で横になって本を読んでも知識は得られるよ」、あるいは「そういうものだったら、頭でわかっていればいいよ」と思うかもしれません。単なる知識に関していえば、それでいいかもしれません。でも、道元禅師は、坐禅をするにも修行するにも、山門をくぐるということがまず大事なのだということを仰っておいででした。おそらく皆さんは入学された以上、どこかで勉強されると思います。『正法眼蔵随聞記』という書物があります。これは曹洞宗を開かれた道元禅師のお弟子様が、誰かに読んでもらおうと思ったのではなく、自分の控えのために、いわば講義ノートとしてメモをとられた、そういう書物があります。で、その比較的最初の方に、「海中に龍門というところあり」という話があります。どういう話かというと、海には、人間には見えないけれども魚がそこをくぐると龍になるという伝説の門があるというのです。これを龍門、あるいは登竜門と呼んでいます。この伝説の門は、決して人間には見えません。そして、門の手前も門の向こう側も同じしょっぱい海水です。こことあそこと、決して違うものではありません。けれども不思議なことに、その龍門をくぐった魚だけが竜神という神様となって天界へ昇っていくことができるといいます。道元禅師様はこの中国の伝説を紹介されながら、修行というのは — 勉強というのは — その場にいて、門をくぐって — 学生であれば校門をくぐってキャンパスへやってきて — そしてここに実際にやってきた、肌で触れて参加した、これが本当に365体育投注_365体育备用网址-【唯一授权牌照】@なのだと言っておられます。「行ったことにすればいいだろう」とか、「そういうことを知識として知っていれば、家でだって坐禅はできるだろう」とか考えてはいけません。門をくぐった者、実際にそこに行って、仲間と肩を並べて一緒に勉強した者、そういう者だけが竜神になれる。
この世の中は、今、コロナ禍で混迷しています。まだ収束していません。その上に、報道で見る限り理不尽極まりない非道なウクライナ侵略というような出来事もあります。まるで考えられない。こんなことがあるのかとショックで目を覆いたくなるような報道が毎日あります。報道を見るだけで辛うございます。けれども、これだけはみなさん誇りに思ってください。仏教は絶対非暴力の普遍的な教えを学ぶことのできる宗教です。こういう、何を頼りにしていいかわからない時代だからこそ、人間は「私はこれを大事にする」「私だったらこれをよすがにして生きるんだ」というその「よすがにすべき何か」というものを、皆さんには見つけていただきたい。その大きなひとつが仏教であると、私は信じて疑いません。衣はバサバサとして長いものです。「お坊さんは何でこんな長いものを着ているんだろう」と、考えてみたことはありますか?これはですね、「アヒンサー」といって、「私は暴力を振るいません」という誓いの姿なんです。こういう長いものを身に着けていると、俊敏で機敏な動きはできません。人に襲い掛かったりするような動きができないようになっている。そういうことをしませんという、誓いの姿なのです。仏教を勉強していますと、色々なことが見えてきますが、その先には、人類として変わらない普遍的なものが必ずそこにメッセージとしてあります。たとえば木魚をひとつとってもそうです。皆さん何で木魚が魚か、考えたことはありますか?世間一般では、「魚は目を閉じて眠らない、寝ずに修行する」と言われていますが、あれは後付けの俗信です。おそらく、これはこうだとは言い切れないかもしれませんが、これは登竜門の伝説をなぞっています。木魚の魚は玉をくわえているんですが、あれは煩悩の玉です。煩悩の玉を吐き出せということです。煩悩の玉を吐き出したとき、龍になることができる。単なる魚が龍となるために、私たちは修行し学んでいる。その証が実は木魚なのだというわけです。私たちは、良くも悪くも人間です。ですから、神様のような完璧な人は世界中どこにもいません。でも、だからこそ、何かに向かって頑張り続けることができるのも人間だと思うんです。冒頭の話に戻りますが、辛い時や困った時は、助け合いましょう。嬉しい時、楽しい時は、分かち合いましょう。すると、苦しみは半分に、喜びは倍になっていくものです。仏教専修科、皆さん、特に一年生にお越しいただいて、本当にありがたく思っています。また、二年生、三年生、四年生にとっても、かけがえのない学生生活、一日一日、これからも教職員がお手伝いさせていただきたいと思っております。言葉調いませんが、今日、海の中には伝説の門があるという話、どこかで覚えていていただければありがたいと思います。授業でもあるいは触れるかもしれませんし、本屋さんで手に取れば、現代語にも訳されています。歓迎の言葉として申し上げました。どうぞこの一年、これからよろしくお願いいたします。
理事長式辞
新入生の皆さん、入学おめでとうございます。十日あまり過ぎて、まだ慣れてないと思いますけれど、徐々に慣れていっていただきたいと思いますし、二年生、三年生、四年生も仏教専修科をまた引っ張って行っていただきたいと思います。
入学式の時には、祝辞の中で「流汗悟道」という話をさせていただきました。これは仏教の経本の中には見当たらない言葉だと聞いておりますけれども、一生懸命汗をかいてやったことというのは裏切らず、その道に通じていくということです。先ほどの学長のお話でも、知識は知識でしかないけれども、それを行動に移していくというのが大事だということを言っておいででした。みなさんもそれぞれ自分の学部があると思いますが、そこでも一生懸命勉強して行って下さい。そしてこの仏教専修科、皆さんはみんな寺院の関係の方だと思いますので、ここで学んだことをまたお寺に帰った時に生かしていただければと思います。これから先生方から色々なお話があると思いますが、なるべく行事には参加していただければと思います。本当に、「なりたい自分」を探して下さい。一生懸命頑張って下さい。