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仏教専修科

活動記録:東日本大震災十三回忌

活動概要

三月十一日に東日本大震災十三回忌を行いました。

学長法話

皆様、本日は東日本大震災の十三回忌法要ということで、行持をおさめていただきました。ここに、十三回忌、丸十二年が過ぎたということでございます。只今は心ひとつにお香を焚き上げ、真心をもって読経の供養を申し上げることができました。仏教専修科の学生のみなさん、オンラインでご参加いただいているみなさん、教職員のみなさん、そして特に今日は、土曜日にもかかわらずご参列をいただいた皆様、本当にありがとうございました。2011年の3月の11日金曜日、午後2時46分18秒、あの東日本大震災が発生し、家屋の崩壊とともに、あの恐ろしい津波、そしてさらには福島第一原発事故という、かつてない複合大災害によって、多くの方がお亡くなりになりました。東北地方を中心に全国十二都道府県で、二万二千人以上の方が、あるいはお亡くなりになり、あるいは行方不明となっております。今もなお、関係者とボランティアの多くの皆様によって、懸命な捜索活動が続いております。先ほど、お経の途中でお読みしましたように、本学でも学部生が四人、通信教育部が三人、看護学校の学生さんがお二人、九名もの尊いお命が奪われてしまいました。私、いつも思うんですね。もしこうした皆さんがご存命であれば、三十代の若きみそらで、あるいは社会の各方面で活躍をされたり、ご家族をお持ちになってお幸せな生活を本来は過ごしていらっしゃったであろうと。ふとそのような想像をしますと、胸が締めつけられるような思いに駆られるのでございます。「時が癒してくれる」という世の中の言い方もありますけれど、やはりご家族やご親戚を含めて親しい人が亡くなってしまったという心の傷は、時とともに消えるものではございません。爾来、私ども学校法人栴檀学園東北福祉大学は、人類の福祉という崇高な理念を掲げて、被災者すべての心の復興とともに、あらゆる不幸を胸に刻みつつ、被災地地元の大学として、地域の皆様と共に邁進して参りました。今、改めて問いかけて頂きたいのです。そもそも復興とは、一体何でありましょうか?何をもって「復興」と言えるのでしょうか?いまだその答えは、私自身明確には深めておりませんが、こんなことを思うことがあります。私も千葉のお寺で住職をしておりますが、私のお寺の檀家さんで、Kさんといたしましょう。四十代半ばだったそのKさんが、いつもは元気で明るい方なんですが、眼に涙をいっぱいためてお寺に駆け込んで来たのが、三月の半ばのことでございました。「うちの母ちゃん死んじゃったよ。うちの母ちゃん死んじゃったよ」と、言葉を重ねながら玄関に飛び込んできたことを、今でも昨日のことのように覚えております。その方、ひとり息子さんがいらっしゃって、まだ高校生でありました。で、奥様は確か気仙沼がご出身でございました。たまたま、親御さんの体調が良くないということなので、ご両親の面倒をみるために時折帰っておられたようなのですが、その日はたまたま通院の日だったということで、海辺の病院に親御さんを連れていったところ、被災され、亡くなったということでございました。「母ちゃん死んじゃったよ」と仰られたその眼には、いっぱい涙がためられておりましたが、そのKさんも昨年お亡くなりになって私ご葬儀をいたしました。有難いことに、残された一人息子さんは、うちの大学ではないんですが、「救急救命士の仕事をしたい」ということで、大学に進まれ、勉強されているというお話を聞きました。おそらくは、多くの方がこのような思いをされたのが、あの東日本大震災であります。今日は、九名の学生とともに、学生や教職員のご関係の皆さんにもおそらくいらっしゃったであろうお亡くなりの方々を、今改めて、十三回忌を迎えるにあたって、「復興とは何か」ということを問いかけながら、命と命を見つめて参りたいのでございます。「すべての生きとし生けるものにとって、命は愛おしい。己が身に引き比べて、命を大切にせよ」とは、仏教の開祖、釈尊のメッセージであります。己が身に引き比べて、人の命に思いを寄せること。今、さまざまな災害、戦争、テロ、病気で、命が危うい時代と言えるでありましょう。だからこそ、私たちは今日十三回忌を迎える東日本大震災の中に、復興とは何かを問いかけることによって、「この世でもっとも尊いものは何か」ということを改めて胸に刻み、「生かされている今の私」、「生きている今の私」の、そのひとりひとりのおつとめの道を、見つけていただきたいのであります。ああ、どうか、満点の星の輝くごとくに、多くの命が輝いている今、私たちだけが生きているのではありません。私たちだけが存在しているのではありません。言葉はおかしいかもしれませんが、お亡くなりになった方も、魂として存在しているのでありましょう。先ほどの法華経の寿量品というお経は、お釈迦様の永遠の命を讃えたお経でございます。私たち自身が、ひとりひとりが仏様、ひとりひとりが永遠の命の旅を続けているのでございます。同じくこの大地の空気を吸って、同じ時代を生きたことに、私自身はとても感謝しております。どうか、十三回忌を胸に刻みながら、おひとりおひとりの進むべき復興の道を見つけていただきたいと念願し、本日のご法話といたします。以上です。