2022/12/07 医療経営管理学科

【コラム】「先達からの金言」舩渡忠男(『宮城県医師会報』2022年12月掲載 )

先達からの金言

舩渡忠男教 授
舩渡忠男 教授
師とは何か。未熟な自分に、的確な原則(指針) を与えてくれる存在である。立ち居振る舞いを真似したくなる存在である。これまで接する機会があった師から学んだ多くのことが意識下に蓄積されてきた。

長期記憶は、短期記憶が頭の中で何度もくり返されることによって、長い間記憶され、絶対忘れない記憶となったものである。日常診療や健康診断をしていると、無意識に、いつでも同じ光景と言葉が浮かんでくることがある。未熟ながら今仕事ができているのは、それらの言葉が習慣化して身についているからだ。頭の中から意識的に取り出さなくても、常に自分の発言や行動に大きく影響を与えていると感じる。これらの言葉は、仕事をしていく上での原則となっている。

医師としての目的意識は、学生時代に始まる。そうして医師になって、どのような医師でありたいのか、今でも悩み続ける課題である。叔父(舩渡亘、大船渡市で開業)の家に一時住んでいた作家であるきだみのる氏(代表作「気違い部落」)と話をする機会があった。医学生である自分に、「風邪の医者になりなよ」。どんな医師をめざすのか、 迷っていた時、今でも時々思い出す言葉である。


1 .「前医の悪口を言うな」

北里大学病院における内科としての研修医が始まった( 1979年)頃、産婦人科の長内國臣教授の最終講義を聴く機会があった。そこでの一言である。「前医の悪口を言うな」。なぜこの言葉を診療や健康診断の時にいつも思い出すのだろうか。とくに、夜間急患センター診療において、かかりつけ医の診断や治療に文句を言ってくる患者がいる。その時、いつもこの言葉が頭に浮かんでくる。決して前医のことを悪く言ってはいけない。そう頭の中で繰り返し、患者の話を批判することなく聴くようにしている。症状が強くなってきた時に診察や検査によって診断が確定することがあるからである。患者の話はとにかく丁寧に耳を傾けて聴かなければならないとの戒めである。

診察室に患者がドアを開けて入ってきたとき、 「歩き方をよく観察せよ」。脳神経内科の古和久幸教授が臨床実習の時回診で話された言葉である。歩行障害は、歩き始めが思うように行かないとか、 ふらつく、足がつっぱっているなどである。古和先生は、学生であっても丁寧に実際の歩き方を見せて丁寧に指導してくれた。それから「ベッドサイドの神経の診かた」(田崎義昭著)をよく読んだものである。神経疾患疑いの患者は今でも苦手であるが、「神経疾患はベッドサイドの診察のみで、そのほとんどが診断できる」という、田崎先生が繰り返し講義の中で話をしていたことを思い出す。この本は今でも座右にあり(現改訂18版) 、 繰り返し開いて、参考にしている。気になる場合は、実際に起立させたり、歩かせたりして観察することがある。

また、医学生になり解剖学の最初の講義で、当時の寺田春水教授の言葉は忘れられない。黒板にヒトの絵を描いて、説明された。「医学で左右という場合、必ず患者さんの左右をさす」。今でも学生に講義する時、最初に話すようにしている。

印象に残っていることもある。麻酔科の講義の時、田中亮教授は必ず胸に金色に輝く聴診器を身につけていた。講義の時には必要なのかと思いつつ、常に身につけておく365体育投注_365体育备用网址-【唯一授权牌照】@性と、いつか良い道具を手に入れたいと思ってあこがれていた。

学生時代から研修医時代、すでに数十年経っているが、昨日の夕食で食べたメニューは忘れることがあっても、その時々でお会いした先達の言葉は決して忘れないものである。


2 .「事実は正確に言え」

30歳になる前、研究をするなら国立がんセンター研究所に行きたいと思い、当時病理学の亀谷徹教授(現静岡県立静岡がんセンター)の紹介で、 研修員の面接を受けた。面接官の先生から、「興味あるがんは?」、「肺癌です」と答えていくうちは良かったが、「肺小細胞の生存率は?」という質問に、一瞬答えが浮かばず、「半年くらいです」と答えたら、「事実は正確に話せ」と大きな声で怒られた。あとで、当時の総長であった杉村隆先生とわかった。しかし、杉村先生は普段は優しく、 朝机の上にこれを読んでおくようにというメモのついた最新の文献が時々置いてあった。


3 .「白衣はボタンを外さず,きちんと着て歩け」


研究員時代を経て、海外留学中、石森彰教授 (当時東北大学医学部臨床検査医学講座)にお会いすることがあり、 1992年から東北大学病院検査部の所属になった。
当時検査部の医局長だったため、病院では定期的に医局長会議が開催されていた。医局長会議は、 診療の合間に開催されるため、形式的な報告ばかりで退屈なものだった。しかし、本郷道夫先生 (当時総合診療部教授)の言葉にハッとさせられた。「最近の若い医師は、白衣のボタンを外して歩いている」との指摘である。「常にきちんとポタンをつけて廊下を歩くように研修医に指導せよ」。1990年代、テレビで見る医師が白衣のボタンを外しポケットに手を入れて颯爽と歩く姿がかっこよく見えた時代である。しかし、本郷先生の 言は、会議の中ですっきりと頭に入ってきた、 それ以来白衣のボタンは必ず全てつけて、背筋を伸ばして歩くようになった。
 佐々木毅先生(現東北医科薬科大学若林病院名誉院長)から伺った話である。「吉永馨先生(現宮城県成人病予防協会会長)は、患者を診察する際、聴診器を温めてから、聴診する」という話である。それから、冬場診療や健診を始める時に聴診器のチェストピースが冷たいかどうか、確認するようになった。冷たいと感じた時は、タオルにくるんでおくようになった。

これらの言葉は医師として仕事をする上でごくごく当たりまえのことである。しかし、医師として未熟な自分が常に自己成長を目指す中で、血となり肉となってきた言葉である。頭の中にあっても、自分が診療において患者と接する時、それらが行動として習慣化されているかが365体育投注_365体育备用网址-【唯一授权牌照】@である。診療をする時、健康診断をする時、ワクチン接種をする時、いろいろな場面において、頭の中に浮かんでくる言葉やその時の状況が蘇ってくる。それらのことが、患者と接する際の基本となっている。これまできちんと接遇教育を受けたことはないが、長い間この仕事に従事できているのは、先輩たちの言葉に襟を正しながら励まされ経験を積んできたおかげであることと確信している。ただただ感謝の一言しかない。

京都大学時代。違和感を覚えた言葉に「患者様」がある。これは、 2001年厚生労働省の医療サービス委員会が、患者の呼称に原則として姓名に「様」を付けるように指針で求めたことと言われている。しかし、京都大学病院(当時田中紘一院長)は、これに断固反対し、「「患者様」ではなく「患者さん」とお呼びします」と、院内に大きく掲示した。いかにも京都らしいエピソードである。それ以来、今でも「患者様」などと呼ぶことは決してしない。学生には「患者様」という言い方をするなとは言わないが、未だに「患者様」と書いてある医療機関内の掲示を見ると、がっかりする。

京都大学に日野原重明先生(当時聖路加国際病院名誉院長)が学生の講義に来られたことがある。当時100歳は過ぎていたが、矍鑠としていて、いつも笑顔で話されていた。その時のOHP (書画) の文字を書き取り、ノートしていた。その中で、 これからの自分の生き方の支えになっていくだろう格言がある。

「生かされている最後の瞬間まで、人は誰でも人生の現役なのですから」。

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