JICA草の根技術協力事業 Rwandaについて

Rwandaについて

ルワンダは中央アフリカに位置し,赤道より少し南側にあります。国土面積は2万6千平方Kmで,秋田県と岩手県を加えた面積に匹敵します。平均標高は1,600mと高地にあるため,気候区分は熱帯ではなく温帯です。地形は起伏に富んでいるため,ルワンダはしばしば「千の丘の国」と称されています。年間の平均気温は24.6~27.6度と比較的安定した気温であり,湿気が少なく過ごしやすい環境にあります。また,年間を通じ,2回の雨期と乾期があります。
公用語はキニャルワンダ語,英語,仏語とされていますが,英語は都市部で,仏語は農村部で通じることが多いようです。人口は1,038万人(2012年国勢調査結果)で,民族構成はフツ族,ツチ族,トワ族からなり,この順に割合が高いです。しかし,1994年の大虐殺(後述)の後,市民は「私はルワンダ人」と公言するようになってきています。信仰の大宗はカソリックですが,イスラム教や土着宗教を信仰する人々が少数派を形成しています。
http://www.rwandaembassy-japan.org/jp/ より転載
主な産業は農業で,輸出品としてはコーヒー?紅茶がつとに有名です。一方,国内需要を満たすため,食用バナナのほか,とうもろこしや豆類などの穀物も多く生産されており,近年は米作も拡がってきています。かつては,衛生上の問題から生産した野菜を温めて食すことが多かったのですが,近年は生野菜で提供されるようになりつつあります。

ルワンダは21世紀に入ってからGDPの主力がサービス業に移りつつあり,モノカルチャ国から脱しようという政府の取り組みも強まっています。その結果,ルワンダは「アフリカの奇跡」と称されるほどの経済発展を呈し,2004-2013年の10年間のGDP成長率年平均は7.3%で,2013年の国民一人あたりGDPは623$に達しました(World Bankによる)。とはいえ,世界銀行による分類でも,国連による分類でも,最も貧困な国としてカテゴライズされたままとなっており,国民の多くはまだまだ貧困にさいなまれています。

ルワンダの歴史を簡単に振り返ると????第一次世界大戦後ベルギーが植民地支配をし始め,支配にあたって少数派のツチ族を重用するようになりました。一方,部族を明記した身分証を発行することで,支配層と非支配層の分断?固定化が進行し,これが後々1994年の大虐殺をもたらした元凶とする見方もあります。

その後,第二次世界大戦を経て,1959年に多数派のフツ族が実権を奪取するに至って,ツチ族は難民として隣国のウガンダなどに逃れ始めました。1962年にルワンダは独立を果たしますが,民族対立は激化の一途を辿り,1980年代末にはツチ族の半数が難民化したと言われています。1990~1994年には民族対立はさらに激しさを増し,和平合意が結ばれたものの役には立たず,ついに1994年4月,ルワンダと隣国ブルンジの大統領を乗せた公用機が何者かによって撃墜されたのを皮切りに,フツ族によるツチ族や民主的な人々の殲滅を図る大虐殺が起きました。
地方の教会に納められた被害者の頭蓋骨
1994年7月にツチ族武装勢力が制圧するまでの3ヶ月という短い期間,虐殺された人々の数は50万人とも100万人とも言われ,その正確な数は未だにわかっていません。しかし,人口の10%内外が虐殺されるという史実が残されました。1994年7月以降,今度はフツ族が100万人規模で現在のコンゴ民主共和国に難民として逃れ,かつてのフツ族政府軍兵士は難民を“人間の盾”にして逃れました。しかし,新政府が樹立され民族融和を図る政策が打ち出されると,1996年にはフツ族難民の大量帰還が始まり,徐々に民族紛争は鎮静化の一途を辿りました。とはいえ,大虐殺に荷担した人々は見つけ出され,伝統的な市民裁判機構である“ガチャチャ”によって裁かれることとなり,この裁判は近年まで続くこととなりました。
みんなルワンダ人!!
このように大きな動乱を経験したルワンダは,国際社会から注目を集めることとなり,むしろそのために急速な民族和解が進んでいるように見受けられます。かつての反目から将来に向けての発展へと舵が大きく切られ,今日に至っています。ルワンダ人は,かつての忌まわしい殺戮とその悲しみを共有し,二度と繰り返してはならないとの思いから,国内各地に虐殺記念施設(その多くがかつての教会)を残し,老若男女が鎮魂のためにこれらを訪れ続けています。「繰り返してはならない」との思いは国際社会もまた持って然るべき感情と考えられます。というのは,1994年4月の段階で国際社会は何らなすすべを持たず,大虐殺を看過したことになるからです。この点では,国際社会の大きな反省が今日のルワンダ支援の礎となっていると思われます。私見ですが,先進国が未だに貧困なルワンダに手をさしのべ続ける主たる動機がここにあると考えられるのです。