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VOL.27 MAY 2005

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【学習サポート】

[福祉心理学科]
新入生?進級生の方々へ

講師
白井 秀明

◆入学?進級おめでとうございます

 研究室の窓から見える桜が満開です。福祉心理学科へ入学なさったみなさん。心から歓迎いたします。「やりぬいてやろう!」という強い決意を抱いている方,レポートを書く時間をどうやってつくろうか? こんなに難しそうな本を読んで本当にレポートが書けるんだろうか??と少し不安に思っている方など,さまざまだと思います。一方,進級なさったみなさん。お疲れ様です。順調にレポート提出やスクーリングをこなされている方,なかなか順調に進まず焦りを感じている方など,こちらもさまざまだと思います。
 私にとって,この桜の季節は年間の授業計画の再編成の時期です。授業で配ったプリントや受講生の授業の感想などを見返しながら,昨年度にやったことは1年前の計画通りにいったのか? ここはうまくいかなかったから見直す必要があるかな? 新年度の授業は,この計画通りうまくいくかな? などとあれこれ考えます。少し強めの風に揺れている桜の花びらを見ながら,毎年この時期に感じる,期待,不安,焦りなどは,こうした計画の立案や見直しの作業からくるのではないかと考えてしまうのですが,それは言い過ぎでしょうか?
 いずれにせよ,みなさんがこの時期に抱くさまざまな思いは,通信教育という非常に限られた時間で自分の「学び」をどう実現しようかと真剣にお考えになっているからこそだと思います。一年後の桜の季節に,計画通りに実現されたことがたくさんある,よかったなぁ!と,お互い思いたいものですね。

◆入学?進級のプレゼント

 今回の目的は,福祉心理学科の新入生?進級生へのメッセージということなのですが,ただおめでとう,がんばってね,といっても,なにかカレンダーの表紙のようにめくられて読みとばされるのではないかと,いらぬ心配をしてしまいます。だったら,読みとばされないような文章を書けばいいじゃないかと言われそうですが,私にはその文章力もありません。そこで,プレゼントをしたいと思います。ものではありません。私が大学時代に教育心理学の講義で紹介された本に載っていたエッセイです。
 いまだに「教えること」「学ぶこと」を考えるときに,私の心の中で原点になっているものです。他力本願?……まあ,本学とは宗派が違いますが,お許しください。それは次のようなものです。

 私はかつて幼稚園の2児を近郊に伴った。彼らは“みやこぐさ”の花に注意を引かれたが,その名を問うほかに能がなかった。当時,私どもの菜園には,同じ豆科の“えんどう”の花が咲いていたので,私は名を教えるかわりに,その花を持って帰り,おうちでそれによく似た花を見出すようにと指導した。彼らが帰宅後両者の類似を見出した時には,小さいながらも自力に基づく新発見の喜びに燃えた。やがて一人は“みやこぐさ”について,“これにもお豆がなるのか”と尋ねた。それは誰にも教えられない独創的な質問であった。私はそれにも答えずに,次の日曜に彼らに現場で確かめることを提案した。彼らがそこに小さな“お豆”を見出した時,そこには自分たちの推理の当たった喜びがあった。秋が来た。庭には萩の花が咲いた。彼らが萩にもお豆のなることを予測した。彼らは過去の経験から,いかなる花に豆がなるのかを自主的に知り,その推論を独創的にまだ見ぬ世界に及ぼしたのである。
(渡辺万次郎「科学技術と理科教育」『理科の教育』Vol.8, No.11;高橋金三郎『授業と科学』国土社,1973 より引用)

ミヤコグサ 少しく解説がいるかもしれません。ミヤコグサなどの豆科の花の多くは,ふつう蝶形花といって蝶が羽を広げてとまったような形をしています(右図参照)。そんなめずらしい形の花なので,幼い子どもらの目にとまったのでしょう。初老の(?)男性と幼子らのほのぼのとしたやりとりと感じますが,じつは「学ぶこと」と「教えること」についてたいへん考えさせられる事例だと思うのです(他にもいっぱい読み取れることはあるのですが)。「教えること」についてはスクーリングの時にお話しするとして,今は,そう,「学ぶこと」です。幼い子どもたちは「なに」を学んだのでしょうか?
 いろいろ言い表し方はあるとは思いますが,ここでは花の形が似ていることの「意味」とでもしておきましょうか。もちろん,「蝶形花にはマメができる」という意味を,子どもたちは男性からもましてや花たちからも一切告げられていません。花の形が似ている,一方にはマメがあるという事実たちから自分自身の力でつかみ取った,もっと言えば,つくりあげた「意味」です。自分でつくりあげた「意味」だからこそ,その意味を自分自身で使って「これ(ミヤコグサ)にもおマメがなるのかな?」と独創的な予想をすることができるのです。そして,だからこそその予想が当たったときには「喜び」に打ち震えるのです。おそらく予想が外れたら「驚き」にうちひしがれるに違いありません。自分でつくりあげた「意味」,それにもとづいた予想の確かめにはそんな感情を揺さぶる効果があると,私は信じています。「学ぶ」というのは,こんなダイナミックなプロセスなのです。

◆よけいなお世話

 こうした文脈の中で「学ぶとは」をまとめれば「自分で意味をつかみ取ってそれを確かめる過程」ということになります。何か結果にあたるようなものを記憶してレポートやテストでそれを思い出して書くといったような静的なプロセスとは無縁なのです。ましてや数冊の参考書から数百字ずつ「……」付きの引用だけが並んでいて,最後の最後に「…ということがわかりました。」だけが自分の言葉というレポートに出会うと,心から泣きたくなってしまいます。どうしてこんなわくわくする楽しい「学ぶ」というプロセスを避けて通ってしまうのかな,と。
 じゃあ,どうやったらこの福祉心理学科の通信教育で「学ぶこと」を楽しめるのか。それには,まず『福祉心理学科 スタディ?ガイド』をよーくお読みになることだと思います。そして各科目の教科書や参考書を読んでガイドを読み直す。このいったりきたりが秘訣だと思います。
 幼稚園生になんか負けていられません。ぜひ「学ぶ」ことをご自分自身で楽しんで,レポートで報告してください。期待しています。

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