【ひろば】
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●第2の故郷に誓う,福祉への思い
社会福祉学科 笹浪 雄太
私は福祉系の専門学校を卒業後,介護老人保健施設,高齢者通所介護など,高齢者介護福祉に携わってきました。それなりにキャリアやスキルを積み,ある社会福祉法人で充実した日々を送っていましたが,利用者に関わる重大な事故を起こし,すべてを失ってしまいました。失意の毎日を送っていましたが,利用者の家族や元同僚の励ましもあり,もう一度福祉の世界で生きていこう,高齢者のために全力を尽くす毎日を始めよう,そう思うことができました。
事故後,2年のちに別の高齢者施設に再就職することができましたが,介護業界は2年も経てば法律も制度も大きく変わってしまっているものです。専門学校で使っていた教科書はもう古典となっており,頼りになるのはインターネットや上司の情報となってしまいました。これではいけない,と情報収集のために図書館へ行った際,先生より出された宿題をやるため座った机に10年ぶりに座りました。その時,もう一度学習し直したいな,とふと思ったのが,大学進学のきっかけです。経済上,夜学も難しく,通信学科にしっかりしたカリキュラムがある東北福祉大学を選択しました。
専門学校時代に社会福祉士国家試験の受験資格を得ていたので,東北福祉大学では精神保健福祉士受験資格取得と,2年間での卒業を目標に学習を開始しました。正直,福祉の世界に入って10年近くが経っており,学習もスムーズに進むだろうと甘く見ていた部分は否めません。また精神保健福祉の分野も,社会福祉系とそれ程大差はないだろうと大きな勘違いをしていました。
精神保健福祉の分野は,社会福祉士国家試験勉強で覚えた法律や制度の一部分の,さらに詳細な,非常に専門的な学習であると感じました。精神保健福祉系のレポートは,再提出で何度も返却されました。その時,自分の認識の甘さにやっと気がつきました。
また,プライベートと仕事が忙しくなり,自室の机から遠ざかる日が続きました。「もうダメかな」などと漠然と考える日を送るうち,初めてのスクーリングを,本校で受けることにしました。これが,自分にとってはじめての仙台でした。空港からJRで移動,初めて仙台駅に降り立った日のことを今でも覚えています。東北福祉大学前の駅が当時はまだなく,最寄りの駅で下車後,徒歩で移動しなければならなかったのですが,『With』を片手に迷いながら歩いていると,「東北福祉大学をお探しですか」と学生が声を掛けてくれるのです。それも2名3名と。おかげでスクーリングに遅刻せずにすみました。またスクーリング中も,食事や図書室に誘ってくださる方が多く,緊張しながらも楽しく学習することができました。市や地域の勉強会に参加した経験は多くありましたが,なまじ専門職の集まりだと牽制しあうことも度々あり,親しく声を掛けていただけるとはまったくの予想外でした。福祉を学ぶ,国家資格を取得する,という共通の目標を持った学友なのだなと,温かく感じることができたのは,とても素晴らしい体験でした。スクーリング出席が良い刺激となり,結果,学習を再開することができました。
精神保健福祉援助演習を受講することはできたのですが,残念なことに職場を変えることが決まり,日程的な問題から,実習を諦めざるを得なくなりました。スクーリングや演習で「実習頑張りましょうね,また会いましょう」と話し合った学生の皆さんと再開することが難しくなったのが,少し気がかりです。
あるスクーリングで問われました。「福祉とはなんでしょうか」と。「福祉とは弱者や生活困窮者を哀れむことなのでしょうか」と。福祉という価値観や考え方は時代の変遷とともに大きく変化を遂げてきました。また宗教の影響も強く受けています。時代に即した福祉が必要なのであり,現代に必要とされている福祉が存在すると私は思います。
福祉という分野を職業とする以上,この「福祉とはなにか」という問いを常に胸に留めておく必要があるのではないでしょうか。そして福祉を必要とする人々と接する度に,自分を見つめ直す機会を持つことが専門職として求められているのでしょう。教授は続けました。「この問いは,皆さんが福祉に携わっている間,一生涯の宿題にすることにします」と。
東北福祉大学に入学する際,レポートを書くために専用の新しいペンを購入しました。在学中,レポートがワープロ書き可となりしばらくペンを置いていましたが,最後の科目である「社会福祉原論」のレポートを書く際に再び持つこととなりました。その際に,スクーリングで行った仙台の街や東北福祉大学をふと思い出したのです。きっとこのペンを持つたび思い出すのでしょう。在学中に社会福祉士と介護支援専門員を取得できたのも要因だと思います。東北福祉大学が第2の故郷になると同時に,一生福祉に生きていく,という決意を卒業と同時に誓います。
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